春の交通安全週間

13日(土)尾久警察署と尾久防犯協会で女優の村井美樹さんを1日警察署長としてお迎えした。都電車内でも乗車されたお年寄りにチラシを配るなど詐欺防止PR。その後、あらかわ遊園内にて特殊詐欺についてて講話。このイベントに参加するため会社から都電を渡り、遊園の近くに行くと異常なほどカメラを持った人々が荒川遊園の入り口で列をなしている。一日署長になる村井美樹さんはバスや、鉄道のテレビ番組に多数出演しており撮り鉄のファンが沢山来ていた。そして遊園から都電通りまでの商店街をパレードしている間、両脇の歩道からカメラのシャッター音がずっと鳴りやまない。パレードの先頭で横断幕を持って一緒に歩いたがこのファンの人たちの気迫は凄まじい限りだ。このパレードには母校である尾久西小学校の金管バンドも参加して大いに盛り上げた。久しぶりに明るい時間を過ごすことができた。この日の夕方から地元の割烹熱海にてお花見会。この桜は当時の警察署長が2000年記念植樹してから毎年のように行っている会。もう24年が経つ。4月も中旬に入り、地元の小中学校の入学式も一通り終わり、仕事モードに突入する。世の中は初任給の大幅アップや昇給のニュースで盛り上がっているが、一部の大企業の話題だ。中小零細企業においては売り上げの見通しも立たない中、裏付けのない昇給を政治家が主導している。価格決定権は下流に行くほど全くない。コロナ禍の影響が色濃く残る時代に生き残るにはさらなる情報発信が必要。情報発信とはまさに営業の第一歩、これは現場においては顧客との会話が始まりだ。社員は顧客との会話から施工のヒントや新たな仕事が生まれるので時間があればコミュニケーション力をつけていく努力が大事だ。

 

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日光山輪王寺強飯式

昨日、5年ぶりに行われた1250年以上続く、輪王寺強飯式に東京日光会として参列。頂戴人として荒川区在住の友人が参加しお供として30数人が朝7時過ぎから日暮里を出発。途中事故渋滞にはまり予定より少し遅れての到着。午前の一座は6名、大林組をはじめ輪王寺と大きな取引のある地元の企業の役員が殿として儀式に参加。強飯式が三仏殿で終わると外に出てがらまきという行事を行う。この柄巻きは受者が与えられた福を撒くという。見た目は節分の豆まきと同じ。管主との昼食が終わり、東京へと急ぐがまたしても東北道で事故渋滞に合う。上野精養軒にて直合も一時間遅れでスタート。和気あいあいな懇親会。仕事を離れての神事は心が癒される。山伏の一丸となった式の行動は素晴らしいの一言。会社にあってもチーム一丸というフレーズがあるが民間では難しい。会社のためという言葉は死語に等しい。仕事はいくらでもあるが自分の仕事中心に考え、現場が無ければ無いなりに時間を消費している。会社は営業第一だ。空いている時間があれば顧客回りが鉄則。毎回通っていると何回かに一回はちょうど良いところに来た。こんな仕事があるんだから出来る?という話が必ず出てくる。これが営業の本質。足を運ばずに仕事は来ない。今年度は営業第一、来る仕事を待つから攻めるという姿勢にしていく。給与は待っているだけでは降ってこない。攻めていく年にする。2024年問題の解決には効率化が第一の解決法となる。

 

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第77回卒業式

今朝の10時から母校の荒川区立第七中学校に来賓として参列。86名の卒業生が一人ひとり壇上に呼ばれ校長より卒業証書受け取る。思い出すと第20回の卒業生であった。57年前になる。当時は1クラス50名以上で5クラスあった。名前も顔も分からない位だ。卒業以来クラス会をやった記憶はない。小学校は地元の尾久西小学校であったがこれまた想い出は少ない。当時は皆、貧乏であり給食だけが楽しみであった。自分で云うのもおかしいが大人しい性格であった。中学時代は水泳部で荒川区3位の成績を残したが、たまたまその年の選手は不作でありタイムも平凡な数字でラッキーであった。卒業式典の終わりころに校歌合唱があり何十年ぶりか4番まで唄った。歌詞を見なくてもすらすらと唄えた自分に驚く。昨晩、ある祝賀会の記念講演で柔道家の野村忠宏さんの講演を聞く機会があった。オリンピック3連覇の話を中心に心が折れそうになった時の克服方法など話された。一本背負い投げで有名であるが連勝を重ねるごとに対戦相手は研究しており、決まらない時期もあったようだが技を増やすことにより相手が気を取られて背負い投げを気にするあまり他の技で勝ことが分かったとのこと。何事も研究と努力と気持ちの持ちようで偉業を達成した。事業の成功も絶対的な得意な領域を創るとともにライバル会社で出てきたときに太刀打ちできないような周辺の事業分野も作っておくべきだと感じた。

 

 

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事業再構築

年間を通して売り上げや稼働率の平準化は創業以来の課題である。これは当社だけではなくどの業界も共通だ。解決方法にひとつは多角化、例えば飲食であればおでん屋さんは夏になるとかき氷屋になったり飲食という枠の中で商品を変化させて年中商いをする。建設業はこのような取り扱いは難しい。ではどのように平準化していくかは事業の水平展開がある。これには社員の多能工化があるが会社の教育と本人のやる気が必要。創業時は電力関連の保守工事に始まり地域も千葉、東京、神奈川、埼玉、静岡と関東圏に範囲を広げてきた。そして職種も地中送電設備保守から装置の取り付け工事へと施工体制を変化させてきた。ターニングポイントは13年前の東日本大震災による原発事故。この時までは6万ボルト送電ケーブルの布設経験はまったく無く、いつかはケーブル工事に参入したいと夢に持っていた時期。それが緊急対応でそのような環境に飛び込んでいく協力業者は居ないに等しい。逆に頼まれれば何でもやるというスタンスをアピールしていた当社に指名が入る。当時はこの世の終わりに行く覚悟も必要と言われていた。社員の家族にも確認を取り、有志でチームを作り現場に乗り込み復旧工事の期待に応えた。この時に断った歴史ある協力業者は事後の仕事がなくなり数社が廃業した。やはり困ったときはお互い様だ。義理人情はどの時代も欠かすことは出来ない。以前にも書いたが、創業時に助けていただいたサラリーマン時代の仲間や取引先の恩は忘れない。自分が逆の立場になった時には可能な限り働く覚悟はある。昨年、送電ケーブル工事にはなくてはならないウインチ車を導入した。結果はすぐにも現れた。数年先の受注量も確保している。しかし、社員不足の関係で断らず得ない現場が発生しつつある。2024年問題より深刻だ。募集は通年で行っているが反応は無い。人材募集については永遠の課題となっている。

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会社選びと仕事選び

記憶をたどると五十余年前の大学卒業を迎える前まで就職について真剣に考えたことは無い。周囲の友人ががどこそこの会社に決まったという情報は入ってきているが当時内定という言葉は無かったように思う。名のある会社に決まると彼らはコネがあったとか根拠のない話で盛り上がっていた。大学は工学部電子科であったが麻雀と軽音楽にハマって勉強した記憶が全くない。今思えば麻雀など学生時代にやらなくても何時でもよかった。まあ、そこで繋がりのできた友達は今でも年に何回も飲み食いして旅行にも行っている仲間なので良いご縁ができたので結果良し。当時の会社選びはどの様にしていたか考えてみるとインターネットも無い世の中で情報も限られているので一番近い親の職業に左右されていた面もある。親を教員に持っていると教育関係、自営業者であれば親は反面教師でサラリーマンを勧めるか自分の好きにせよとか意外と会社選びには無頓着であった気がする。インターンシップ関連で中学生や高校生に対して職業についての講演する機会もありそこで話をする内容は、会社選びの前に三つの分野がある。一つは職人になる。二つ目は会社員になる。三つめは経営者になる。この3つの分野の大枠からひとつ選ぶ。3つから一つ選ぶことは容易いことだ。例えば職人を選ぶとこの分野はお医者さんに始まり、大工さん、弁護士、左官屋さんなど途轍もなく幅が広い。共通しているのは個人技だ。次に会社員、この分野は会社による規模感が大きく異なるし業界により個人所得も幅が出てくる。一般的には安定感が一番高い。最後の経営者はリスクが高く運も必要だ。色々なデータがあるが裏付けは曖昧であるが厳しい数字は起業から3年後の生存率は65%、10年間存続している会社は6.3%、30年経つと0.025%という数字もある。ここから会社の寿命説30年ということらしい。実際に経営していて思うことは運によるところが多い気がする。困ったときに必ず助け神が現れる。ただし、黙っているだけでは運は来ない。大声で困りごとを広げることだ。先ずは発信し共感者を増やすことに尽きる。次のステップの話は業界選びについて書いてみたい。

 

 

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恒例の花粉症

今年の花粉症はいつもより2週間程度早く症状が出ている。顔がほてり、くしゃみも突然出てくる。飲み薬は眠くなり合わないので目薬と点鼻薬で5月連休まで我慢の日が続く。花粉症は40年位前から発症している。こんな体調の中、新年会も一昨日でやっと終了が見えてきた。1月から2月末までの新年会累計29回を数える。例年と比べて圧倒的に新年会が増えた。すべての挨拶の始まりが能登半島地震からはじまり羽田航空機事故となることは避けて通れない。未だに続く現地の被災状況は深刻さを増しているが何もできない歯がゆさがある。東日本大震災の時は福島原発の緊急出動があり身をもって現地の災害状況や避難状況など目の当たりにしてきた。この時は地震・津波・原発事故と重なり日本の政治も端境期でパフォーマンスも多く余計に混乱していた記憶がある。安全に絶対はないと確信した時でもあった。自信と過信は時間とともに確立されてしまうので事故例の学習は特に必要だ。最近では人材不足の解消のためロボット化が進んでいるがこのオペレーションも慣れが出てくると事故が暴走する可能性がある。2024年問題が各業界で大変な課題となっている。業界再編や吸収合併、撤退など相次いでいる。働き方改革の名の基に法律が先行している。特に労働集約産業は現場に出てなんぼの世界、働き方改革によって現場が動かなくなることは目に見えている。どうする日本!

 

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企業家と政治家

最近、ニュースで毎日のように出ている政治と金の話題がある。政治資金収支報告書を修正すれば罪は問われない。問われるのは事務所の会計責任者だ。この問題は何十年も前からの繰り返しだ。議員事務所の規模を見ていると一般企業の収入に値する金額は表に出ている数字で1億円程度、しかし地方に私設秘書を数人置いたとしても社長一人に数人の社員で原価は事務所維持費、交通費、人件費が主になるので仕入れも無ければ外注費もない。一般に中小零細企業の規模である。中小零細企業の社長が経理の数字を見ていないなどと言えるわけがない。政治家だけは経理担当者に責任を負わせることができる仕組みはなぜという疑問が付く。経済は収入に合った支出が当然の原則だ。これが政治の世界になると収入と支出が公開されている内容以外に相当あるようだが政治活動という言葉で領収書のいらないお金や何万円以内なら申告も必要ない等、うやむやになっているのが現状。一方、民間企業では1円単位で収支が問われている。こんな矛盾がありながら生きている。政治は特別なものという勘違いがすべてだ。民間企業で不祥事があれば社長が責任を問われるのが当たり前。この当たり前の世界にもっていかないと政治不信がもっと高まる。今朝も大手の自動車メーカーの不正が出て、大臣が会社のガバナンスが問題と当然のごとく発言していたが、この言葉を政治家に対して同様に批判するマスコミ発言は見られない。もっと冷静に公平に国を回していかないととんでもない世の中になる。といっても自分自身は古くから自民党党員であり政党も支持しているが、やりきれない不満を解消する手立ては選挙しかないのが歯がゆい。色々な意見はあると思うが田中角栄元総理大臣の若しころのような発信できる政治家が望まれる。

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日光山輪王寺

コロナ禍で中止になっていた強飯式が再開される。毎年4月2日輪王寺本堂で1250年以上の歴史ある行事。東京日光会として昭和26年より毎年、受者を輩出している。累計で267名になる。強飯式の由来は日光山に伝えられた儀式のひとつで寺伝によると、式の起こりは勝道上人が奈良時代に日光を開いてより山伏の入峰行が盛んになり、山伏が修行した行場のご本尊にお供えした御供っを持ち帰り、上人をはじめ人々に分かち与えたことが始まりと言われている。その後、日光三社権現の千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音から御供をいただく儀式となり開運の三天である大黒天、弁財天、毘沙門天の信仰が結びつき江戸時代に現在の形になったといわれている。この儀式の様子は毎年、NHKで放送されている。2月の中旬以降に日光山輪王時より僧侶が4人東京まで来ていただき顔合わせ会を行う。コロナ禍も2類から5類になりマスク着用も緩和されて久々に町の賑わいも戻ってきている。先日は東京商工会議所荒川支部設立50周年行事が行われ200名弱の来場者があった。副会長として感謝状もいただいた。政治の世界は落ちるところまで行っているが経済だけは上昇できるように中小企業は今まで以上に頑張らなければならない。何といっても人材の獲得だが、こればかりは募集していても一人の問い合わせが無い状態が続いている。引き続きあらゆる手段を使い社員増員を図っていきたい。

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令和6年仕事始め

本日より仕事始め、先ずは会社の30年寿命説について何とか乗り切ったという話から始める。今年で創業32年になった。最初は実家の会社の3畳間位の倉庫を無償で借り、机を2台購入した。電話番号は末尾が1になることに執着してNTTに交渉し何とか希望の番号になった。当時の大手企業は末尾の数字1が圧倒的に多かった。そしてポケットベルの末期であったがポケベルも買う資金が無かった。次に設備投資の話、昨年の12月にウインチ車の納入がありチーム編成を今の3倍に持っていく話をした。社員の中には無理という顔をしている者もいたが創業以来、無理を承知で課題を乗り越えてきた自負がある。山があるから登るという当たり前のこと。この3倍という数字は将来の柱になる事業だ。そのためには社員のキャリアアップが欠かせない。能力はみな同じ、人の何倍か努力しなければならない、そうすると自然に運も付いてくる。最近特に耳に知ることは不平不満愚痴文句を社内で平然と言う雰囲気の打破。古来より言霊という言葉がある。良いことを発すれば良い方向に行くし逆に悪い言葉を発すれば悪い方向へ行く。不平不満が愚痴をなくすには先ずは今いる会社を働きやすい環境になるように自分を変化させること。他力本願では無い己だ、そして売り上げを拡大する行動をすること。それが出来なければもっと良いと思われる会社にトライし自分でリスクと責任を取ること。ニュースやマスコミで昇給や賞与の話題が出るがニュース源となる会社は大企業であり社員の勤続年数も長く平均値だ。そして一人当たりの年間売り上げも何倍か異なっている。当社の規模と比較することはスポーツカーと原付バイクを比較するのと同じだ。私を含めて当時大企業に入れなかった者の集まりのなのだから大企業に負けないやり方を模索し他企業ができない方法を考えることが生き残る道。9時45分より地元の氏神さまである尾久八幡神社に毎年恒例の社員全員で安全祈願を行った。宮司の祝詞に今年の安全と事業の発展を願う。オンリーワン企業を目指そう。

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術後の経過

4月末に脊柱管狭窄症の手術を行った術後検診で都立駒込病院でレントゲン検査。結果は順調に腰骨のねじも固定されており、このまま運動は避けて生活すれば来年の4月以降は筋肉も復活して正常の歩行になりスポーツも可能とのこと。久しぶりの吉報だ。年内は残り4件の忘年会と28日に仕事納めで無事終了となる。27日は夕方から尾久防犯協会の各町会へ年末激励パトロールを署長以下の幹部署員と一緒に挨拶回り、その後、警察関連団体会長の会社で行う餅つき大会に参加。年始は一日に尾久八幡神社の元旦祭に参列、荒川区長、警察署長、消防署長、氏子崇敬会が参列し安全祈願する。お祓いを済ませてから境内の中にある社務所でお清めを行う。4日はアートホテル日暮里ラングウッドで荒川区新年祝賀会に出席する。コロナ禍前は荒川区長ほかの挨拶の後、懇親会では1000名弱の参加がおり、この会で新年の挨拶回りが終わるほど区内の企業経営者や区の幹部職員、外郭団体の会長が顔を揃える有難い新年会であったが昨年に引き続き、懇親会はない。来年は自分の干支である辰年。サラリーマンを18年間勤め40歳で辞めて起業したがすでに32年を迎える年になった。大学時代の同期の仲間たちの内でいつも付き合いのある友達の経営者は二人くらいになった。後は年金生活者。飲み会も一人欠け,二人欠けという年齢になってきている一方、さすがに電大経営同友会のメンバーは現役社長ばかりで励みになる。そう考えると体力の続く限り、後継者を育て会社の発展に力をまだまだ注がなければならない。

 

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