危険運転

18日(月)の夕方の帰社時に危うく自動車と正面衝突しそうになった。自転車で自宅まで100m付近、明治通りを渡ったところに線路わきの道路を右折してきたレンタルマット業者の軽ワゴン車が猛スピードで曲がってきた。ほんの30cmくらいの至近距離ですれ違い自転車に乗っていたため転倒。自転車を起こし、運転手に注意しようと振り返ると信号を通り過ぎて行ってしまった。自分としてはこのようなことが起こればすぐに停車して状態を確かめるのであるが怒り心頭、車両ナンバーを確認し該当していると思われる会社に状況をメールした。年末に向かい慌ただしくなっているが最近東尾久でも人身死亡事故が発生している。自転車事故も多いが気を付けて運転していても被害者になることを実感した。年齢のせいか訃報が最近多く届いている、今週の日月も葬儀がある。人生の先輩である方々を見送っている。何を残してきたかが問われる年にもなってきている。おふくろがよく言っていたが小さな災いで良かった、次は気を付けることになるので災いは防げるという前向きな言葉だ。先般、久しぶりに墓参りに行って墓標を見ると母親は享年73歳、父親は83歳。おやじを超えるには10年はある。まだまだやらなければならない夢の実現に向けて頑張る。昨晩、東京荒川ロータリークラブの家族忘年会の抽選でホタテの貝柱が当たった。この1か月でホタテを4kg取り寄せ日干しにしているのでさすがに今回は急遽じゃんけん大会を行いそれを勝者の参加者に提供した。集まるときはこんなものだ。明日は脊柱管狭窄症の術後の最終の経過検診。特に痛みもなく良好なので来年の春以降は運動解禁になる予定。

 

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尾久防犯協会

コロナ禍で中止されていた尾久交通少年団の餅つき大会が昨日の日曜日、尾久警察署の駐車場で開催。朝の九時に行ったところ既に一臼を突いている途中で蒸かしもち米に醤油を垂らし一口。その後、納豆餅、おろし餅、黄な粉餅、あんこ餅、お雑煮、もつ煮など次々ご馳走になりお腹は一杯でダウン寸前、署長挨拶などのセレモニーを終えて直ぐに帰宅。年末に近く、あちこちの町会で餅つきが始まっている、コロナ禍前は毎年本社の駐車場で餅つき大会を行っていたが今年もコロナ、インフルの状況を見て中止とした。この餅つき大会は120名ほどの来客があり、社員の協力により行い、お正月用としてお土産にしている。民間の会社でこのような行事を行っているところは見かけない。来年は状況を見ながら実施していきたい。最近、目覚めたのがホタテの貝柱の干物作り。北海道から大型のホタテの貝柱を2Kg取り寄せ、3%の濃度の塩水をを作り、5分ほど熱湯に通してひたすらネットに入れてベランダで干す。一日2回ほど裏表を返し、重さが変わらなくなるまで繰り返す。約2週間くらいで完成する。第一弾はぼちぼち出来上がる。2Kgといっても数は50個程度。生から乾燥させると大きさは半分くらいになる。ここで気が付いたことは販売されている物は真ん中の凹みもなく形状が整っている。これは自然乾燥ではなく乾燥機で一気に水分を飛ばしているため全体的に収縮していると思われる。ネットで検索すると仕入れの3倍から4倍以上の価格だ。今、第2弾の準備に入っている。こんな小さなことが気休めになっている。年内の防犯協会の行事の締めは27日の夕方、警察署幹部と各町会に年末の防犯警戒の激励パトルール行うことで終了となる。

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限りある時間

一昨年から、身の回りの訃報が続いている。若くて75歳、ほとんどが80代が多いが昨年、最近調子が悪いねとかいう会話をしていた方々が多い。去年は今の自分を創ってくれたサラリーマン時代の上司、七人兄妹の三男、40年近い付き合いのあった古谷一行さん、社員などをはじめ数えきれない程の近しい人とのお別れがあった。自分の寿命が分かる方法やあの世へ行ったらどうなるのか、以前では考えられないことが頭に浮かぶ。今年は長年の苦痛の元であった脊柱管狭窄症の外科手術を行った。手術は大成功、腰痛も無くなり右足の痺れもまったく無い。ただし、長い間自然に歩き方が変わっていたのだろうか右足の筋肉の衰えが感じられる。先生は治るには1年くらいの時間が必要とのこと。この手術前は整体、マッサージ、針治療、整形外科でブロック注射などありとあらゆる治療と称することにチャレンジしてきたが、すべて一時しのぎの痛め止めに過ぎなかった。もっと早く手術をすれば良かったと悔やむ。スポーツは術後一年はリハビリに集中してくださいときつく言われている。それは腰骨にチタン板とビスが4本付いているから当然だ。また、新型コロナにも感染した後は風邪を引き、初めて1週間会社を休んだ。来年の2月で72歳となる。子供のころは60歳過ぎるとお爺さんお婆さんで腰も曲がり死んでいく行くのが当たり前であったような気がする。孫の長女も成人式だそうだ。人生100年時代と云われている今、まだまだやらなければならない仕事が沢山あるが創業32年目に向かって初心に戻りオンリーワン企業になろう。

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尾久西小学校100周年

本日、10時より荒川区立尾久西小学校の創立記念日に参加。約60年前に卒業した母校。校庭は天然芝でよく整備されている。校歌は今でも歌詞がなくても唄えるくらいだ。懐かしい先輩も数人見かけたが元気そうで何よりだ。昨晩、深酒で久しぶりの二日酔いで調子が悪く、祝賀会の大皿料理を見ただけで食欲をなくし退席した。明日から1泊2日で警察署外郭団体の研修旅行でバス2台を連ねて越後方面に行く。50数名の団体になる。昨年はコロナの余波でバスの中は禁酒であったが今年はどうなるのかわからないが皆さん大酒のみばかりだ。朝から夜の宴会まで飲む強者が多い。地元の旅行に行くと何となく町であっても自然に挨拶ができることが良い。23日の金曜日はADEKA主催の荒川区こども柔剣道大会に参列し終了後はADEKA本社で懇親会に参加予定。尾久の安全はやはり地元の各種行事による住民の繋がりによるところが多い。金曜日からはコロナ禍前には必ず行っていた社員研修旅行、大分県別府温泉に行く。1泊2日の限られた時間ではあるが温泉にゆっくり浸かり英気を養ってもらいたい。24時間一緒に行動することが大事、日ごろの仕事以外の話もできる。宴会は抽選で番号を引き決める。以前、新入社員が上座に座り、女将さんが丁寧な挨拶に来た笑い話がある。通常は2次会はクラブを貸切にするのだがホテルの人員不足で会場は閉店中とのこと。また、部屋割りは阿弥陀くじで決める。普段しゃべる機会が無い者同士が近づく良い方法だ。翌日は観光をしながら福岡から帰京する。天気も良さそうなので楽しみだ。

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コンサルの方程式

最近、ご縁のあるセミナーに連日参加した。外部講師は中小企業診断士や専門分野と云われているコンサルタント、大企業からの転出組。テキストの内容はほとんどが使いまわしの内容が多い、異なるのは講師の引き出しの数の違いや実際に足を運んで得た情報の言い伝えが分かり易いか否かである。それも成功者と言われている経営者から得た事柄が対象であり、ネットでも成功例は検索できる。ネットミルの事業の立ち上げの時にも有名なコンサルタントと契約した。市場調査に始まり販売方法や価格設定、顧客開拓など多岐にわたる内容であった。コンサルタント契約の選定基準は何かというと経営者としてのの経験があるか、社員を雇っていたかも重要な事項であった。得てして多いのが大企業で管理職を定年になりその企業ブランドを使い、テキストを上手く張り付けている資料を説明しているコンサルが多い。マンションや株などの売り込みに似ている。そんなに上手くいくのであれば自分で事業化すべきである。受講者は今の事業にプラスアルファしたい経営者やこれから創業したいと思っているチャレンジャー。セミナーで多いのは事業化するまで方程式を解くことであたかもその通りにやっていれば何となく成功するのではないかと勘違いしてしまう恐ろしさがある。相撲で云えば新しい土俵作りを教えているだけである。土俵作りのあと実際に取り組むお相撲さんや行司の育成だどは教えないし知らない。そしてその事業が失敗に終わった時に土俵を現状復帰する費用など考えも及ばない。つまり責任は負えない仕組みの中での仕事。皮肉になるがそれを知って受講するとその話の裏を返すとどうなるかなど考えるととても勉強になる。大事なことは経営者としてロマンを語れるか、語れるまでにはどうすべきかをレクチャーすべきだ。

 

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電大第12回旭祭

11月3日、4日の二日間、母校である電大の旭祭に経営同友会で出展。事業推進委員長として企画、設営、運営まで学生実行委員会と打ち合わせしながらの開催。経営同友会は卒業生の企業経営者の集まりで創業者が多く会員になっている。古いデータではあるが創業社長率は日本の大学で1位になったこともある。出展中は現役在校生も多く来場した。特に気になったのは高校生が親御さんと一緒にたくさん来ていること。私の時代は親が大学に来るなど一切無い。恐らく高校にも来ていないと思う。親離れ、子離れという言葉があるがどうなっているのか頭が混乱する。ニュースを見ると入社式にも親が来ているらしい。自立という言葉はどこへ行ったのだろう。大学は神田から北千住に移転して12年になる。移転による北千住の経済効果は数千億円といわれている。もちろん、電大だけの移転だけではないが他大学の学生も増加している。女子学生の割合も科により6割くらいいるとのこと。私の時代は3%くらの比率で女子学生を見る機会は少なかった。この年齢になっても母校と繋がっていることは幸せのひとつでもある。今週、たまには気分転換と引き出しを増やそうと思って東京都中小企業振興公社主催のサブスクの勉強会に出席した。講師は日本政策金融公庫総合研究所。サブスクリプションサービスの事例の説明があったが本質である収支についての説明が無く、成功事例というよりも活用しているという話が多かった。ネットミルはサブスクとして7年位前から実績があるが一番大事なことはネット環境に対する投資がサブスクでは避けて通れないこと。この点は講師もわかっていないようだ。この実情が分からずに集まっているセミナー受講者は勘違いしてしまう。本業ありきで投資負担を計算しないで手を出すと失敗する。

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昨年同月の出来事

11月1日、一並びだ。なぜかちょっと気分が良い。昨年のブログを見ていると足元がぐらつき転倒したことが書いてあった。一年経った今、風邪で1週間連続で会社を休むなど人生初めての経験をした。年ごとに体調の変化というか劣化が見て取とれる。インフルエンザ、新型コロナ検査も陰性。周囲の知人も同様な症状で寝込んでいる例が多く聞かれた。何かわからない耐性の強い菌があるかも知れない。世の中は値上げの嵐、人手不足に輪をかけるように運輸業界、建設業界の労働時間制限など事業を行うにあたって逆風が続いている。建築資材の値上がりも異常で今後は住宅、マンションを含む建設業の経営など成り立たなくなってくるであろう。年内に予てより計画発注していたケーブルウインチカーが納入される。久しぶりの大型投資になるがインフラに欠かせない基幹ケーブル工事には必要不可欠の投資でもあり同業他社との差別化を含め新たにローカル5Gを採用、業界では最初となる新しい通信制御方式を開発した。この開発により安全性の向上、人的な効率配置も可能となる。現在特許の申請手続きに入っている。今後の事業の中心となるウインチーカーの納入が楽しみだ。

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体力と復帰力

久々のブログ投稿。10月は仕事のほかに各種の外郭団体の行事が目白押しであった。2日は東京商工会議所荒川支部50周年のイベントで都電に車体ラッピングの出発式。5日は尾久消防署三団体役員会、6日は千葉カントリークラブで開催されるロータリークラブ地区ゴルフ予選会の挨拶、同日に縁戚のご不幸があり葬儀に出席、9日は荒川区国際交流協会30周年記念式典に参加。11日荒川法人会西尾久支部研修会、12日尾久地域安全の集いで挨拶、翌3日は尾久警察署のオレオレ詐欺防止活動で銀行周辺にPR活動。15日はポリオデーで荒川遊園地周辺で募金活動や尾久西小学校体育館にてティラノサウルスレース運営、16日尾久西小学校創立100周年全体会議、17日荒川法人会公益社団化10周年パーティを上野精養軒で開催、この時にエアコンが寒すぎてどうやらこの時に風邪を引いたようだ。翌日の夜は城北信用金庫本店の懇親会で神楽坂、すでに発熱状態。翌朝、電大経営同友会の研修旅行で柏崎原発にバスで移動。懇親会、2次会と飲み続ける、翌朝は原発を見学せずに新幹線でひとり帰京し尾久警察署創立100周年記念事業と懇親会に参加。かなりの発熱と咳が出る。翌日に地元のクリニックを受診してインフルエンザとコロナ検査を受けるが両方とも陰性。受診して大量の薬を処方してもらうが一向に回復せず日曜日から寝たきり状態となる。24日からは電力協会で群馬県の発電所と柏崎原発の視察研修があったがさすがにキャンセル。25日に再度クリニックに行きインフルエンザ検査をするがこれも陰性。都立駒込病院の紹介状を書いてもらう。27日は尾久警察署署長が100周年の御礼に来るということと銀行の役員の方が来社するということで出社。翌日の土日は寝たきりでやっと平温に戻った。これらの行事のなかで準備も含めさらに現場の対応もしていたのでパソコンのピン番号まで分からなくなるほど頭が疲弊していた。体力はあると思うな復帰力のほうが大事だということが身に染みて分かった月でもあった。さて、復帰力をどう作っていくかが今後の課題だ。

 

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上半期

9月は激動の30日であった。2年がかりで進めていた東京都の補助金の製品納期が間に合わず決定していた金額が0円になった。この申請は5Gシステムを開発し既存のメーカーとのコラボで世の中に無い仕組みの製品。特許も申請している。先行投資も行い、5Gの試験結果も問題なく、後は本体の納品を待つだけであった。製造業、建設業ほかあらゆる業界において共通して問われることは品質と納期。この二つを守ることは事業者の最低限のルールだ。製品ができるまで企業はは発注者でもあり受注者でもある。この繰り返しで事は流れていく。この流れが詰まれば上流から下流まで一気に目詰まりする。一番の問題は社会的信用の喪失だ。納期遅れは工程管理ができないというレベルの会社にもなってしまう。自分の会社にあってもできない理由を並べることに時間を費やすことが仕事と勘違いしている社員も過去にいた。出来ないことを出来るようにすることが仕事だ。幸いにも現在の体制は前向きな社員が多数。辛い登坂の次は楽な下りになるが仕事はエスカレータの下りを下側から逆に登っていくことが仕事と考えるべき。止まれば下がるということを常に考えていれば知恵も出てくる。来週から下期に突入する、前進あるのみ。予てより申請していた「テトレット」も特許取得の連絡があった。悪いことも良いこともすべて経験になる。

 

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身の丈

平成4年創業、当時はバブル崩壊の始まりで世の中の経済活動は減速を始めていた。しかし、新幹線のぞみも運行を始め、国家公務員も週休二日になり世の中、下り坂なのに身の回りは将来に向かって明るく進む変な過程であった。創業時は当然お金もなく自分の給料分などどこから出るのだろうという思いで毎日暮らしていた。収入は無いなりにそれに合った生活になる。休みがあれば自転車に乗り何処となく目的など考えずに走る。缶ビールを買い、土手で空を見ながら飲む。憂鬱だ、頭の中に廻るのはお金のことばかり。当時から週休二日制、これは最先端ではなく取引先が既に週休二日制であっただけだ。もし創業時の仕事が電力関係ではなく一般の電気工事を行っていたなら土日はすべて現場に出ていただろう。週休二日のおかげで、自分の給与を取るために宅配便のアルバイトに明け暮れた。今でも当時の日給、一日配達して6800円を貰ったことは未だに覚えている。これで生活できていたわけでは当然ない、サラリーマン時代の退職金の取り崩しが毎月続く。無いなりの生活が身の丈に合ったということを実感する毎日であった。身の丈に合った仕事とは何だろう。収入に合った生活は理解できる。仕事で考えると自分の能力以上の業務を短期的に行うことが間違いのもと。責任ある仕事とは相手の要求に対してプラスアルファの喜びを充てることだと思う。この先の見込みを立て自分の会社の実力を見極めて進めることが身の丈に合うということだ。それには関わる人のプロ化が必要。プロになるにはひとりの自覚から始まる。そういう社員を多く育てていきたい。

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