エスカレーションと報連相

エスカレーションとは障害対応やクレーム対応の時、担当者が勝手に判断しないように上位者の指示を仰がなければならない。それは会社全体で一貫した方針で行わなければ事態は悪化する。しかし、都度トップに判断を仰ぐことは物理的に困難だ。特に現場においては対応が難しいが基本は一人作業は厳禁だ。ちょっとの時間を取り、周囲の経験者や責任者に判断を仰ぐことは一呼吸おいて見渡せば出来ること。これは慣れが邪魔をする。この慣れが失敗の大きな原因となる。基本は報告連絡相談だ。本ブログでも何度と取り上げているが当たり前のように仕事をしているが偶々ミスが表面化しないだけだ。報告は特に上位対応者に対しては必然。個人の失敗は会社全体の信用に直結する。仕事は山と谷が交互に訪れる。自分では常に忙しいと思っていても誰しも忙しい時間は限られている。報連相を行うことで自分が発信源となるリスクが低減する。リスクといえば昨年の仕事納めに結膜炎となり片目から両目に感染し、お正月は目薬り三昧の日々を過ごした。完治すると今度はの喉の異物感と痛みが続き、耳鼻咽喉科を受診し薬を貰うとあっという間に治ってしまった。他人に対しては自己管理が必要と言っていながら言うは易しと反省している。今週の日曜日は尾久消防団の始め式に参加。日頃の訓練を通しての団結を身近に感じる正月明けの引き締めにぴったりの式典だ。例年のごとく2月いっぱいまで新年会が続く。お世話になった先輩諸氏が年々少なくなっている。健康第一と思う時期でもある。

 

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令和7年仕事始め

仕事納めから昨日で8連休という長期に渡る休みの後、仕事始めとなる行事の最初は荒川区新年祝賀会に参加。年初めから開催場所を間違えてサンパール荒川へ行くとガランとした雰囲気。ロビーに行くとフロントからアートホテル日暮里ラングウッドですよと言われ慌てて移動。何とか受付を済ませて区役所の部課長、副区長、区長に新年の挨拶を済ませてトンボ帰り、毎年恒例としている尾久八幡神社に社員全員で安全祈願を無事済ませた。二人の社員の都合で全員とはいかなかったがこれから一年の安全を誓う。今日は14時から安全引き締め対話を行うが昨年暮れに社員一人一人に3年後の目標を発表してもらう。以前、今年の目標を提出してもらったが結果はどうなったかは検証していないが、1年間という短期ではどうしても資格取得とか身近な目標に偏りがちである。個人的には大学を卒業するときに8年後、30歳で社長になるという目標を立てた。しかし、大事な年ごとの計画など曖昧であった。結果、遅れて40歳で起業となった。大リーグの大谷翔平さんが立てた年齢ごとに段階を踏まえての計画などに及びもしないが目標までに何をすべきかを考えるためにはある程度の期間が必要だ。目標を創るということは夢を実現する第一歩。夢は自分の家族や会社の事、将来の自分の立ち位置など先ずは自分を含め関係する人々が幸せになることが究極の目標。そのためには年齢に沿った計画が大事。今年は巳年、蛇は脱皮をしながら成長していく。会社も過去の失敗成功を繰り返しながら成長するもの。そして大事なことは仕事は与えられるものでなく自分で取りに行くもの。その見返りが給料となる。昨年一昨年と過去に拡大してきた事業を整理してきた。今後はこの会社にしかできない事業に絞り込み、オンリーワンを目指していく。

 

 

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令和6年仕事納め

平成4年創業だから32回目となる仕事納め。コロナ禍が落ち着きを始めた令和4年、5年は創業以来の収支の悪化であった。原因は公共事業の案件で思いもよらない大幅な支払いが発生したことが大きい。現場担当にしてみれば何とか施工内容を原設計に基づき完工したいがため過剰な人員を投入した結果だ。やはり身の丈に合ったというかコミュニケーションの取り方に問題がある。言われたら何が何でもやるという精神は大事であるが代案をだして会社のためになる知恵出しが必要。令和6年は創業以来、多角化してきた事業の整理のスタート年となった。環境測定事業は法律の改正がありアスベストの環境測定は事前の建材に含まれているかという現実的な測定に変更になりその市場は広がると思えるが人員が足りない。体制が出来ている企業との競争には出足で差が出てしまうので撤退した。その人員は電力関連事業に移動したため会社全体としてはパワーアップとなっている。高齢者の見守りとしてスタートしたネットミルは荒川区の指定商品となり区内での市場獲得率はほぼ独占できるまでに成長してきた。しかし、契約条件として緊急駆けつけ出来ることがが絶対条件のため警備業の資格を取得し、提携警備会社に駆けつけを依頼するという仕組みを作った。残念なことに提携先の警備会社が移転することになり機械警備業の縮小という会社方針によりいきなり事業提携の解消といわれ止む無くネットミル事業も体制の整った警備会社に引き継ぐことになった。社内で24時間体制を作ることも検討したが警備員をあらたに7名程度常勤させなければならず只でさえ募集しても集まらない状況の中での直営化は断念した。一方でネットミルの安全安心事業の一環としてオレオレ詐欺用の録音機の取り付けや街頭防犯カメラの設置も区内の指定会社として地位を築いたので社内人員体制は変わらずに移行している。この数年は山あり谷ありを経験した貴重な年でもあった。

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東防連委員会

東京防犯協会連合会の長寿社会対策委員会に出席してきた。議題の中でも特に高齢者を狙った特殊詐欺の実態を知った。自分自身も高齢者の仲間入りをしているが人をだます手法は年々手が込んでいる。会社に架かる電話はほとんどM&Aか株、マンション投資話が多い。そんなに儲かるならば自分でやるのが第一だ。と思えば未然に防げる話ばかりだ。汗をかかないで儲けることはありえない。闇バイトもしかり、なぜ簡単にお金が稼げるか疑問を持つことが出来ないかを一呼吸おけばわかること。こんな簡単な仕組みに引っかかるのはコミュニケーションが成り立っていないことが要因のひとつ。そして身近に相談する相手がいない。一番の問題は高校、大学を卒業する前に教育の一環として詐欺の実態を勉強させる時間が絶対に必要だ。以前、退職した社員の中にもお金の問題でにっちもさっちもいかなくなり消えていったものがいる。結果として正直に言ってもらえば解決できる話が多い。翌日は母校である電大経営同友会主催の特別講演会、特殊詐欺とは無縁のカーボンニュートラル社会に関連した講演。日本の食料自給率、エネルギー自給率からはじまり行くところは脱炭素化をいかに持っていくかが課題。次の日は電力協会の忘年会に出席。ここでも電力使用量の現状についての話題。エネルギー問題は国策として整理し方針を示さないと安全な国にはならない。世界の戦争の根源はエネルギーの確保のための領土拡大に尽きる。今年も残るは3週間あまり、社員には来年の仕事初めに各個人の3年先の目標を発表してもらう。目標を考える習慣は今までにはないと思う。個人としては大学卒業したら30歳で創業と目標を立てた。できる出来ないは別として自分の未来を考える良い時間になってほしい。

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渋沢栄一講演会

11月22日(金)、サンパール荒川にてチームアスカ主催による第1回記念講演会を渋沢資料館顧問の井上潤氏を講師に迎えて行う。渋沢スピリッツと人物像を中心に開催した。想定以上の来場者で満席となった。さすがに井上講師は渋沢資料館で40年務めた経歴での知識は凄いの一言。渋沢栄一翁は500の会社創立に関わり600の文化、福祉、大学などにも名を連ねた偉人。改めて日本の経済界の基本を創った人物。共通していることは思った通りに突き進む精神力と人脈創りが誰も真似することは出来ない。本では得られない話が多く、大変な段取りや調整で苦労したが結果が見えて満足の時間であった。この翌週から警察、消防の外郭団体の研修旅行が続いてイベント疲れがピークを越えた週でもあった。12月はコロナ禍も収まりつつある中、関連団体の忘年会が14回続くが元来、人と会うこととお酒が大好きなため今月来月と楽しみな月でもある。会社のカレンダーも11月に納品され今はカレンダー配りの毎日。今日は地元の八幡神社やお寺にご挨拶がてらにカレンダー配布した。年末に近くなると訃報の通知も届く。年代も私がお世話になった方で80代が多い。最近思うことが亡くなったらどこへ行くのだろうと子供の質問のようなことが頭に浮かぶ。生まれてから人間は一定の年齢になると逆算が始まるようだ。一定の年齢は80歳くらいだ。そこからドッグイヤーぐらいの速さで土に戻ると考える。残された時間をどう過ごすかが大事な年齢になって来た。

 

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ブログ16年

ホームページにリンクさせたブログの書き始めは2008年1月がスタート。親父の葬儀をきっかけに今まで16年間1383通書いてきた。ブログソフトの変更に時間がかかり毎月の投稿数も激減している。逆に言うと生活等変化に乏しい年齢になってきているので話題が少なくなっていると同時に厳しくなっている個人情報の制限もあり具体的な表現の制約が頭をよぎる。最近の日課は脊柱管狭窄症手術の後遺症による右足指先の筋肉の衰えで歩き方が不自然になっている。このリハビリのため会社近くの整形外科に週3回通い、自宅でも朝と晩に同様の運動を行っている。ゴルフコンペは今でも会費は納入しているが5年以上コンペに参加していない。お医者さんにゴルフプレイの再開はと聞くと自分のリスクでで判断してくださいと微妙な返答。この言葉は重い。ゴルフは一日の付き合いのため人脈の拡大には欠かせないと思っているので残念だ。創業して32年になる。新規事業として立ち上げた事業も思い描いていた拡大には至っていないため撤退を決めた一年でもある。立ち上げも大変であるが縮小も大変な力が必要である。しかし、自分としてはちょうどよいタイミングであると感じている。事業は流れを作り幅を広げ深さを掘り下げ長くしていく必要がある。この作業の引継ぎは並大抵のパワーでは不可能と思っている。自分で創ったものは自分で終うことが出来る時間を逆算計測して判断し実行できることが責任と思う。最近の政治の世界は言うだけで誰も責任は取らない風潮。先頭に立つものは常に一番後ろにいる人の歩き方も注意して見ながらまとめていく気配りが大事だと思っている。

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円谷プロダクションと第13回旭祭

母校である東京電機大学の学園祭が11月2日(土)、3日(日)に東京千住キャンパスで開催される。神田から北千住に大学が移転して13年になる。電大卒業生の経営者団体である経営同友会もこの旭祭に出展している。今回は卒業生の偉大なる大先輩である円谷英二氏が創業した円谷プロダクションからウルトラマンを中心とした画像データの提供をしていただきパネル製作の展示と足跡を紹介する企画が目玉となる。1日(金)から設営を始める。この学園祭は移転前には神田の錦町に校舎があったため錦祭と呼ばれていたが北千住移転に伴い住所である旭町の地名より旭祭となった。経営同友会の事業推進委員長としてこの出展の手続きから段取りまで一切任されているが相手が現役の大学生の実行委員会の面々であり社会常識を飛び越えた文書の締め切り日であるとか極めて無意味な書類の提出要求、文書のやり取りが続いた。コロナ化を挟んでの開催であるため昨年の実行委員からの引継ぎも大変であったと思うがこれも勉強の一つと思い協力してきた。昨年は経営同友会の展示室に2日間で600名以上の来場者があった。来場者は地元の親子や大学を目指す中学生高校生など多種多様である。古いデータであるが2014年週刊エコノミストによると電大卒業生の創業社長率は日本一という資料も出ていた。確かに経営同友会の会員は創業社長が圧倒的多いと感じる。技術者では昭和時代に喫茶店には必ずあったインベーダゲームの開発者も電大卒業生である。建学の精神「実学尊重」そのままの先輩が多い。今回の旭祭においても将来の経営者育成に少しでも役に立てばよい機会と考えている。

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整形外科リハビリ

昨年の4月下旬に都立駒込病院にて脊柱管狭窄症の外科手術を行い成功。2週間弱の入院で退院した。経過は良く腰痛や足のしびれなど全く感じない生活であったがこの3か月弱で以前から気にしてはいたが右足の指が開かない。意識しても上下は動くだけだ。歩いていると足の指先に力が入らず周囲から歩き方がおかしいねと言われる頻度が多くなってきた。会社近くの整形外科に診察に行った結果、手術の影響で筋肉が弱り神経が末端まで鈍くなっているとのこと。長期的にリハビリが必要とのことだ。リハビリは朝起きるとつま先立ちを両足、次に右足だけを行いスクワットを行う、レジスタンスバンドを使い右足首に負荷を掛けて一定回数を行う。これだけで汗がジワリと滲む。そして仕上げは指の間に右手でマッサージを行っている。朝晩2回継続している。最近、やっと少し効果が出てきたか右足の薬指が意識すると少し動くようになってきた。これからリハビリは日課となり完全に指が動くまで気長に行う。ゴルフコンペのお誘いは毎月のようにあるがこのような状態で且つ腰をひねった時に腰骨に埋めてある4本のネジがどうなるか心配ですべてお断りしている。おそらくゴルフは出来ないと思う。本心はゴルフは人脈を作る上で非常に役に立っているので再開したいところだ。今月、来月と選挙が続く。特に荒川区長選は身近な問題であり立候補者はすべて人脈の中にいる。あっちを立てればは立たずだ。現区長は大物のため比較できない。深入りせず冷静に政策で判断したい。

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ブログ改修

今から17年くらい前、父親の逝去をきっかけにブログを書き始めた。故人になると有名人でない限り、自分の生きざまを残すことはできないものだ。このブログはホームページにリンクしているため私の氏名や会社のホームページを検索してはじめてブログに到達する仕組み。ホームページ更新により過去に書いたブログを呼び戻すための改修を行っている。当初は1か月に6から8本書いていたが個人情報の制約や愚痴が多いため自分としても本数は制限してきている。特に先月は2008年1月からの過去のブログをリンクさせる作業でストップしていた。創業して32年経ちその間、ライフラインの安全を守るというキーワードを主体に事業の拡大を行ってきたがここ数年で自社の意識をもって計画ができない事業は撤退してきた。JRのホームドア工事やアスベスト調査の一環である環境測定事業も発注者の都合で工程が変更になったりという苦い経験も多々あった。特に値上げ交渉などは自助努力が足りないとか他社はこれでやっているなど根拠に乏しい理由でやらざる得なかった。自社ブランドであるネットミルも通信キャリアやクラウドサーバー会社の都合でシステム変更を強いられることが多い。この30年以上の経験で社会の仕組みも多く勉強してきた。これから自社ブランドを確立するには何が必要でどこに無駄があるかを見直していく必要がある。各団体でお世話になった先輩方も毎年少なくなってきている。尊敬する先輩達の言葉も受けられない年代になって来た。これからの社員、会社のためにもブランド力を持ち、サスティナブルな事業を開発していく必要がある。明日から1泊2日で電力協会の研修旅行で新潟。明後日は尾久警察防犯協会の「防犯のつどい」で会長としての挨拶する。一日警察署長としてNHK気象予報士の晴山紋音さんも同席するので気象にかけた防犯の話でも考えよう。

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指示待ち人間

サラリーマン18年経験後、平成4年に創業した。サラリーマン時代は弱電やセキュリティシステムの構築や設計を行い、新規事業の立ち上げも担当させていただいた。大学時代は軽音と麻雀に明け暮れ、電気のデの字も勉強しなかった。今思えば少しは授業に出ていればと後悔しているがここで出会った悪友たちとは今でも年に何回かの旅行や飲み会を引き続き行っており50年以上の付き合いになる。何にも考えずに50数年前にトリップできる癒しの時間でもある。この仲間たちがいなければ苦しさの後の楽しさはなかった。サラリーマンの時に電気関連の国家資格をいくつか取得した。これは入社してくる後輩がすでに資格を持っていたので単純に先輩として恰好がつかないという理由。ほとんどの資格は一夜漬けの勉強だ。この勉強法は簡単で国家資格はほとんどが60パーセント以上の点数を取れば合格できる。最初から6割が目標なので4割は勉強不要となる時間だ。そして過去問をひたすら分析するだけだ。仕事も100パーセントを求める中で大事なことは段取りだ。段取り、準備がある一定の事ができていれば現場は合格だ。創業した当時の事業は東京電力の地中送電部門で特別高圧送電ケーブルの保守。関電工さんの協力会社としてスタートした。大ぼらを吹きながらの営業で創業したての会社が一部上場企業と直接口座ができて仕事が貰えることは今の時代はありえない。現場に出ると初めて見るものばかり大学でまじめに勉強したとしても教科書には出てこないものばかり。指示を出されても何を言っているか不明だ。とりあえず言われたイメージで体を動かすとそうじゃなくてこうやるという繰り返しで勉強してきた。今思うと相当細いロープで綱渡りしていた。創業してからは現場第一で同じ質問はしないと心に決めて少しでも先回りするようにしてきた。ネットを検索すると「指示待ち人間の治し方とか活性化する方法」との記事が多いが経験から言うと待たなければ出来ない仕事は成長できないことは明らかだ。成長できないことは=所得も上がらないということ。そして大事なことは先を読むということ。この先読みは自分から発信しないと何も読めない。

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