心遣い

最近現場に出ることが多い。会社に戻ると作業着は上下ともびっしょりだ。会社のコミュニセンターにはシャワールーム、洗濯室がある。先日、あまりにも汗をかいたので会社で洗濯しようと洗濯室に行くと洗濯機の中には洗い終えたTシャツが数枚入っていた。洗った本人は時間になったら干すつもりであったと思う。誰のかは分からないが洗濯機の中の洗い物をベランダで干した。そして自分の洗濯物を回した。1時間程度経って洗い終わると思い洗濯機に行くと次の洗濯物が回っていた。問題は私の洗濯物が洗濯機の蓋の上に無造作に置いてあった。ここで心遣いという気持ちがなぜないのか疑問に思った。僅か数メートル先のベランダにある物干しに何点かのシャツを吊るすだけの行為。なんて世知辛いと思う。先月、家庭の事情で退社した者がいた。理由はやむ負えないので引継ぎだけは責任をもってやるように伝えたが全く何もやっていない。心遣いの前の気遣いがなっていない。人生は長く広がりのあるもの、どこで再び繋がりがあるかもわからない。去る者は追わず、来るもの拒まずで人生を過ごしてきたが「立つ鳥跡を濁さず」と古来から言われている。今、濁ったまま無責任に去って、何も無かったようにしていても何も思わない者が増加している嫌な社会になってきた。小さい頃の教育に問題があると同時に誰も生き方などについての意見を言わない、また聞かなくても生活できるフリーター等の存在が根本にある。コロナ禍で働き方が大きく変化していく。これからは心を持った働き方をしている会社が存続する。

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