仕事と作業

最近の人材不足の解消方法は見当たらない。中小零細企業にとって出来ることはハローワークを通しての新卒採用、ネットでの募集、ホームページへの誘導、採用面談会への参加、展示会への出展など過去何回もチャレンジしてきたが結果が出ない。採用を目的としたユーチューブの作成を行い公開しているが反応は全くと言ってよいほど無い。一方、昔で言うフリーターよりもっと短時間で働くバイトも持て囃されている。働く意義をどのように考えているのかの教育はどこで誰がやっているのかさえ分からない時代。夢、希望、将来と言う言葉を頭の中で考えるタイミングは入学、卒業の時に有ると思うがこの時代には区切りと言う時間軸は無いようだ。創業して33年になるが仕事と言う言葉は当たり前のように使って来た。第一は食うためであるが格好付けて云うと社会や組織の中で役割や責任を全うする時間を人々の幸せを造るために費やす事が仕事をするという想いがある。だから皆さん就職は真剣に考えた。私の場合は30歳で起業しようという夢があったためか腰掛けとしてしか考えていない不届き者であったので会社選びは特段のこだわりは無い。今の就職を迎えた若者たちはどう考えているのか?親、先生の推薦する会社が優先になっているようだ。これは失敗した時の強い言い訳になる。この時期、自分のやりたことが見つからないから言う通りにしたというであろう。今思うに仕事は死語になりつつ、作業が本来の仕事になっている。作業とは過程のことで点で繋かる故、時間だけの働き方が成立する。仕事は目的と責任があり、作業は指示された事を淡々とこなすだけだ。人材不足を解消するには作業から仕事への揺り戻しが必要だと常々思う。

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変化と進化

変化は性質や状態が異なるものに変わることと云われており、進化は物事がより良い状態変化するとのこと。つまり変化は進化を伴わない関係にあると一般に云われている。ふと、この2文字を見た時、直感的に思った。これを時間軸に例えると変化は水平、進化は垂直ではないか?企業活動で考えると社員には変化を求める教育を常に行って来たが、結果を求めても変化しているかを観ることは難しい。本人の意識は言われたからやっている。言われた以上はやらない。やった結果、自分でも身になっているか分からないのが本音。しかし、云われたことをやったのだから評価しろ!この考えが世間で通用してきた。冷静に考えればわかることだが同じ目線、同じ速度、同じ成果をあげているだけで他より頑張っていると評価することは出来ない。聞くところによると今の小学生の徒競走は手を繋いてゴールするという、順位をつけない教育。この考えに陥る経営者は脱落していくのを間近で見てきた。では、どうするかと考える。変化は当たり前という基本を頭に入れ、進化は垂直という発想転換が必要だ。垂直に進むということは上も見えるし下も見ることができる。ウッカリすると落ちることもある。このように登らなければならない環境の中で上に行くことだけが会社としてのあるべき姿。結果、企業として生き残りと共に社員に還元できる唯一の道標となる。明日から上期の残り1ヶ月となる。自分で仕事の枠を決めないで枠を外して上を目指して進化していこう。

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令和7年盆休み

何年か前から会社全体の盆休みは取り止めた。大きな要因としてネットミルを始めとしたBtoCの分野への進出。創業から電力業界に携わり、お得意様の休みに合わせて全社一斉に夏休みを取っていた。9連休もしっかり取っている社員も多い。たまにはゆっくり家族サービスをしてもらいたい。一斉の休みをやめた理由は高齢者見守りという業界進出にある。見守りにあってはいつ何時異常情報が上がってくるか分からない。見逃しは絶対に許されない仕事。契約上、警備会社との連携も重要。開発したネットミルは国内初の仕組みでクラウドを使い、PHSで1分毎の電力量を計測して電気の使い方から生活リズムを解析し日常の電気の使い方がおかしいと判断するとメールで配信するという仕組み。当日の警備会社では電話回線を使い、人感センサーが働いていない時間を計測して通報する仕組みしか無かった。通信も時代と共に物凄いスピードで進化してあっという間にLTEの時代になった。ネットミルもLTEを導入しPHSではカバーできなかった国内エリアに対応できるシステムを構築した。いち早く市場に出して荒川区役所でも採用されて展示会にも積極的に出展。一定の評価を受けた。しかし、見守りという仕組みは駆け付けが必須の条件。この緊急出動体制を維持するには人件費という先行投資が避けて通れない。最近では中小警備会社の撤退や廃業が増加している。人を見るには、やはり人となる。AIがいくら優秀でも最終的な対応はマンパワーしか頼れない。毎年の事で有るが盆休みは創業以来取ったことはない。このブログもこの時期、世の中は休みが多いため電話は来ない。空いた時間にタイトルとは異なる内容となったが思いつくまま記してみた。

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令和7年夏季賞与

賞与については社員全員が集まることができる平日の夕方に決めている。よって支給日は毎年変わる。今はケーブル工事で神奈川へ出張のため帰社を待っての支給となった。毎年、支給日までの対前年比収入比較と今後の見通しなど話すが、今回は総務担当がプライバシーマークの更新作業に追われ当日に監査ということで資料が間に合わずに毎回言っている繰り返しの話をした。賞与支給日という事でお金にまつわる話をすることにした。先ずは給料はどこから来るか、現場の仕事の成果として発注主から入金があり経費、給与を払う、つまり現場が無ければ給与は無い。昇給の考え方は昨年の売り上げと今年の売り上げ予測から希望的観測の上、昇給額を決める。昨年と同じ仕事、売り上げの場合は昇給は不可である。歴史のある大企業は毎年なぜ昇給が出来るかというと定年退職者がいるからだ。この退職者の人件費は大きい、この支払い額を次の世代の人件費の昇給に使える。当社の場合、創業して33年であり中途入社してきた社員が一昨年一人定年退職したに過ぎないので効果はない。そして給与の日給月給の話をする。建設業界は下請けになればなるほど支払いは日給だ。働いた分だけの支払いなので経営者は一番楽な仕組みだ。働く側に立ってもキャッシュフローが目に見えて働けば働くほど手許金が増える。しかし、休みの多い月や体を壊して休むと途端に収入は著しく落ちる。当社は創業時から月給制を取り入れている。また、完全週休二日制で有給取得率も85%を超えている。こんな労働条件の建設業をやっている会社は周囲でも聞いたことがない。こういう条件を理解することが出来れば不平不満は錯覚だと経営者としては理解してほしいものだ。では給与を高くするにはどうすればよいか。一つは売り上げを大きく伸ばすこと。次に効率のよい仕事をすることに尽きる。サラリーマンを18年やってきた経験からわかることは不平不満をいっても周囲が気分を悪くするだけで何も解決しない。言われた仕事だけやっていても昇給昇格はしない。自分で勝手に仕事の範囲を決めてそれ以外はしない。他人がやりたくない仕事は避ける。会社のために働くという事は、自分のため、家族のためでもある。まだまだ成長は十分可能だ。気持ちを人のためと変えることが一番の幸せにつながる。

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大阪・関西万博

東京商工会議所荒川支部で5月21日から1拍2日で万博に視察。ニュースでもたびたび出ていたが入場口で40分待たされた。これはセキュリティの関係で荷物検査に時間がとられている。最近の空港ゲートのように顔認証を事前に登録しておけばここまでの荷物検査はいかがなものかと感じた。この日は天気も良く汗ばむほどの陽気だ。日陰も少なく夏は熱中症が心配になる。入場者数ばかり気にしているニュースが多いが日陰の休憩所を作るべきだと思う。展示館は共通していて技術の進歩で著しいと感じたのは8Kだ。プロジェクターの進化も凄い。表現方法が今までにない立体感と360度の画像表現などあらゆるところで驚きを感じた。初日は移動と懇親会であったが長引く風邪で宴会は途中退席し20時頃、ホテルに戻り寝てしまった。翌日は万博を途中で引き揚げ広島へ移動し、防犯カメラのメーカーの代表に挨拶のため福山へ、ホテルの部屋は福山城が目の前でやっとリラックスできた。防犯カメラは犯罪防止の役目から自然災害、集団行動の監視まで幅広く利用できるように進化している。画像と音声連動による新しい試みも実証実験中だ。弊社もいち早く導入を決めてオリジナルな仕組みを検討している。27日にはグランドアーク半蔵門にて尾久防犯協会として表彰状をいただいた。これは102ある警視庁防犯協会で4協会だけが表彰された栄誉あるもの。今月から各種の外郭団体の総会が6月一杯続く。年齢とともに時間が過ぎるのが早いし、体調を崩すと治りが悪い。腰の手術後は運動らしいものは何一つやっていないので体調維持のための運動を探さねば思っている矢先、社員の長期入院によりその担当者の仕事を引き継いでいる。もっともっと時間が欲しい。

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過去を振りかえる

あっという間の平成6年、創業以来他業種にチャレンジしてきた。時代とともに要求される事業も変化している。創業時は東京電力の地中送電ケーブルの保守からスタートして徐々に洞道内の照明設備や換気設備、排水設備の改修工事分野に幅を広げてきた。地中送電ケーブルは当然、マンホールの中にあるため電源は無い。外部より供給すべく専用の電源車が必要になる。トラックに発電機を載せて車体の後ろに工事中という看板を設置するなど専用の改造が必要になる。これも溶接機でアングルを加工しながら組み立てし電源車らしき物が完成した。2tトラックのため発電機の重量が勝り非常に不安定な走行で作業をしていた。今から考えるとよく事故が起きなかったくらいラッキーであった。当時は社員も少なく学生のアルバイトでチームを組み作業していた。当時の協力会の中では新参者で既存の協力会社の手に余る仕事や利益の薄い仕事しか回ってこない状態が続いていた。しかし、来た仕事は絶対に断らないという信念のもと、徐々に面倒を見てやろうかという発注担当者も増えてきた。エリアも千葉、東京、神奈川、埼玉、多摩と小さい仕事の連続で先輩の協力会社が割が合わないという市場を開拓した。顧客の管理職の中で大学の先輩と飲んでいるときにこの業界だけでは一定のシェアの中での仕事となるため事業を拡大するのであれば他業界も開拓しないとだめだというアドバイスがあった。その先輩は長い歴史のある協力会社の新参者としてはいつまでも下でいるしかないという経験則からの意見であった。その意見をまともに聞き、手っ取り早い方法を考えると官公庁の入札が平等ではないかと思い何も知識がなく申し込むと全く資格がないという。それは入札時のランクを取得するために経審で評価され点数をとりそのランクがないと申し込みが出来ないという事実。知らないということは強い。ではチャレンジしようということで申請すると実績がないため一番下のDランクであった。ここからが当時の談合の波をかいくぐるための挑戦が始まった。この後は話は引き続き機会がある時に書き留めていくつもりだ。

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革新知能総合研究センター

先般、東京商工会議所荒川支部の視察会で理化学研究所を訪問。認知症予防のための会話支援手法、共想法に基づく会話支援ロボット、遠隔会話支援システムを体験した。AI研究の一つとして加齢とともに低下していく認知機能を現状維持するようにルールを加えた会話によりロボットと対話するというもの。認知症の予防としてのアプローチである。一の問題は本人が認知症になっていることが理解できない。会話により外部から刺激を与えて進行を遅らせる試みのひとつであるがAI化していくには相当のデータの取得が必要に思われる。この研究所は知能に特化して人工知能について研究しているが研究費には苦労しているようだ。特に女性AI研究者の育成に支援が必要とのこと。加齢とともに身体の衰えの見える化も必要と感じる出来事があった。足立支店にて産廃の写真を撮っているとき何でもない低い脚立に乗り、トラックに足を掛けた時、体重移動が上手くできなくて脚立から落下し腰、肘そして頭を地面に強打してしまった。転倒することなどありえない時間を過ごしてきたが、これからは段差に気を付けようと心に誓った。加齢の進行は自分では気が付かないものだ。脊柱管狭窄症の術後のリハビリを週に3回病院に通っているが目に見えての回復が遅々として進まない。筋肉の衰えの復活は大変な時間が必要だ。頭脳のほうは年間数百人と名刺交換をしており、色々な業界の経営者と会う機会が多いので会話に不具合がでれば指摘されるだろうと安易に考えている。心配なのは社員が指示待ちでしか仕事を進めていない者が若干、年とともに増えている気がする。バブルがはじけてからの創業である故、何でもできる出来ないは別にしてチャレンジしてきた。今でいうブラック企業なんて言葉もない時代。生きるためには先ずは行動、止まれば死を意味することぐらい毎日が勝負と思っていた。今年も昇給を考えるが原資は売り上げだ。業界の競争に打ち勝つには会社全体の実力を冷静に俯瞰して平均値をどう上げるかが肝だ。

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令和6年度期末

2011年3月11日に東日本大震災による一貫として福島原発の事故から14年経った。事故からすぐに復旧のための人員確保や体制などの得意先より問い合わせがあり翌月には現場に行く工程が組まれた。今になって忘れれないことは協力会の先輩会社のいくつかは現場復旧の派遣について断った会社があった。こんな緊急事態によく断れるなと不思議な感じを持ったことは事実だ。以前にも創業時に助けられた経験から困ったときはお互い様の精神が頭をもたげ、当社は先ずは社員の家族に説明して了解のもとに復旧作業チームを作り体制を組んだ、現場は想像を超える環境の中で年間延べ700人を超える人数で任務を完遂した。これほど社員、家族を誇りに思ったことはない。これがターニングポイントとなり高圧地中送電ケーブルの工事分野に取り組む第一歩となった。これらの緊急事態に協力しなかった数社は現在は廃業してしまっている。仕事は山あり谷ありであり特に周囲が谷の時に自分の立場を超えて出来ることは何でもやることが世の中の役に立つことを再認識している。ケーブル工事は装置産業だ。一昨年、数千万するウインチカーを2年がかりで発注、現在稼働しているが投資回収には何年かかるかは計算していない。計算しても絵に描いた餅、ではどうするか?回収を早めるには二つ、稼働率をどのようにして上げるかとこの会社の規模で自社でウインチカー持っている会社のステータスのPRが大事だ。投資をしない会社は存続しないことは過去の例でいくつも見聞きしている。そして、これからの労働力不足はどの業界も共通しているが働き方改革など昔で言うホワイトカラー的な発想の方向転換をしないといつかは大停電が必ず起こる。それが心配だ。。

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電大経営同友会月例会

昨日、母校の経営同友会の月例会で持ち回りのスピーチをする機会があった。何を話そうかと過去の資料を探していたところ2年前に日暮里工業会からの依頼で工業団体連合会に会社について題材は何でもよいのという投稿依頼がありその時に書いた文章があったので創業からの想い出というテーマで会員に話をした。その文章を転載する。今年で創業32年、当時を思い出し振り返る。学生時代から30歳で社長になるという裏付けのない幼い夢を持っていた。とりあえず会社勤めをしようとメーカーに入社。二つ目の転職した会社で新規事業を任され15年間で何とか軌道にのせたが30代後半になっていた。ふと考えたとき、このまま勤めていても役員になれても社長は無理という現実がわかり40歳手前で突然に退職届、18年間のサラリーマン生活を終える。そして次は何をやるか考えずに地元荒川区で創業。三畳一間くらいの倉庫を親父から無償で借りて中古の机を二つ買い電話機1台を置いてスタート。ひじ掛け椅子に座り、社長になったとご満悦。当たり前だが電話機が壊れているかと思うくらいベルが鳴らない。それからは戴いた退職金は羽が生えたかの如く飛んでいく。収入は無いので土日は宅配便会社でアルバイトの日々を過ごす。この窮状を知ってか知らずか有難いことにそれまでお付き合いのあった会社から今迄やったことのないカタログ作製や太陽光発電の普及見通しや動向調査などレポート作成の依頼があり何とか食いつないだ。今考えると助けるための口実であった。この件があり今でも自分の責任で出来ることは何でも困った人の助けになることをやろうという礎になった。そうこうしているうちに大学の先輩から東京電力さんを紹介いただき、その繋がりで関電工さんの協力会社になることが出来た。本当にご縁に感謝だ。また機会をつくり続編を書いていきたい。

 

 

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術後リハビリ

23年4月末に都立駒込病院に入院、脊柱管狭窄症の手術を行った。術後の定期健診では埋めたチタンネジの固定も変化なく腰痛も治り、足の痺れも無くなった。しかし、昨年の10月頃から右足の筋肉の衰えからか足の指先が思うように開かなくなりはじめ歩行もぎこちなくなり、会社近くの整形外科リハビリに通うようになった。週に3回20分ほどのマッサージや屈伸など筋肉回復のリハビリを行ってきた。最近やっと小指が自分の意志で動くようになり、歩行も通常に戻りつつある。この年齢になり筋肉を付けるということは想像以上に時間がかかる。ゴルフはお医者さんが言うには自分のリスクでプレイするならいいよと言われているので怖くて全くスポーツはやっていない。余計に筋肉は衰えるばかりだ。ゴルフは決して人並みとは言えないがコンペには積極的に参加してきた。人脈創りには最高のスポーツだ。普段会えない上場企業の役員と一日行動を共にする機会はゴルフしか無い。この点だけは悔やまれる。2月は誕生月だ。この年まで会社を経営しているとは思いもよらなかった。大学を卒業するときに30歳で社長になるという単純な知能。今考えると子供じみた発想であったがなんと今でいうフリーターを1年やり、当時市ヶ谷にあったCBSソニーのディレクターのアシスタントをやりスタジオの手配など雑用をやっていた。当時は森田公一とトップギャランやピンクレディのデビューなどの時期でもあった。この世界は才能が無いと全く生きていけない。自分の無力さを実感した年でもあった。この後、生活のためサラリーマンに戻り、卒業後18年経っていた。40歳直前にこの会社にいても良くて役員止まりと思った瞬間に辞表を出して退職。格好よく起業となったが全く仕事などあるわけがない。休日には宅配便のアルバイトで日給6800円で凌いでいた。こんな事をリハビリ中、たまに思い出す。さあ、早く筋肉を付けよう。

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