尾久八幡神社例大祭

毎年恒例の元旦祭に氏子崇敬会として参列。13時に社務所で受付を済ませ宮司を先頭に本殿へ。祝詞から玉串奉典を行い社務所2階へ移動、直会が始まる。元旦祭は地元の町会長が集まるため年始の挨拶がまとめてできる為効率が良い。残念なのは年々、参加者が高齢になっているため少なくなってきている。尾久の街はものづくりの零細企業の集まりであり戦後に地方から出て起業家が多い。もちろん地主さんとも上手く融合された下町でもある。しかし、事業継承も上手く機能することなく廃業。ものづくり企業だけではなく商店街も同様にシャッター通りになり跡地はマンションや建売が増加している。この現象は尾久に限ったことではなく全国的に問題となっている。解決策のひとつとしてマンションや建売入居した方々に法的な問題があるようだが、強制的に町会等に入会してもらう方法しかないと思う。そして社会インフラの中でも気がつかない区道私道の照明やゴミ収集置場など、当然のように利用している環境維持費用負担など、町会なくしては成り立たない事をもっと広報する必要がある。5日から仕事始めと同日に荒川区賀詞交歓会がある。区内の大所が集るので話題にしたいと思う。1月10日土曜日には環境維持と安全な街創りを目指して尾久警察署、尾久防犯協会共催で清掃活動を行う。荒川区役所からも区民生活部や環境課からも協力も頂き、都電荒川線にピーポ君を乗車させて広くPRを予定している。年齢を重ねるごとに会社が成長するために何をすべきかとか母校の電大への関わりなどこの休み期間中、ずっと考えていた。相変わらずの年始めである。

 

 

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令和7年仕事納め

明日26日(金)で仕事納めとなる。今年4月から社内外でも初めて経験する出来事が多い年でもあった。先ずは母校である東京電機大学の経営同友会の副会長就任、私以外に適任者は沢山いるが巡り巡って受諾した。ほぼ同時期に校友会の理事になった。校友会は電大の歴史の中でも現役の中高生から大学生、そして卒業生まで3万人の会員を有する大きな組織。理事には先輩から後輩まで本当に同じ電大かと思うほどカラーが違う感じがする多彩な集まりだ。この二つの理事により北千住にある東京千住キャンパスに毎月のように夕方に行くようになった。学生時代はサボっていたがこんなに母校の存在が大きくなるとは思っていなかった。そして11月には昭和22年に設立された東京都内の33の地域・産業団体からなる(一社)東京工業団体連合会の組織の一つである日暮里工業会の会長に就任した。個人としては異なる組織の役員になることは人生の勉強になり、多様な経営者とめぐり会いによりお山の大将から現実に引き戻される感じがして反省することが多い。創業して33年経つ。経営者としてこの間に成し遂げた感は全く無い。まだまだやらねばならない課題がありすぎる。社員の中にも病に倒れ自宅静養中もいる。本当に33年という年月は長いようで短い。各警察署防犯協会からなる東京防犯協会連合会が毎月発行している「家庭と防犯」という広報誌の来年1月号に「この人この意見 お顔拝見」というコーナーで2ページにわたる紹介記事に尾久防犯協会会長として掲載される。校正のためにいただいた写真がさすがにプロで自分の今まで撮った中ではお気に入りだ。遺影にでも思い写真データを貰えるようにお願いした。毎年仕事始めの安全引き締め対話集会に全社員に予めテーマを決めた内容を発表してもらうことにしている。今回は「自分が成長するために何をすべきか」を発表。会社勤めは何もしなくてもお金がもらえると錯覚してしまうことも間々ある。成長しなければ所得も上がらない事実を知ってもらいたい。

 

 

 

 

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祝賀会

11月は祝賀会に3件お呼ばれした。一つは米寿のお祝いと88歳になる経営者の新製品発表会。浅草ビューホテルで開催。なんと発起人代表になっており挨拶までするはめに。こんな展開もあるのかとびっくりした。次は警察署関係の会長の総理大臣表彰にあたっての祝賀会。ホテルオークラで開催。重厚な雰囲気の中でマジックショウなどイベントも盛りだくさん。そして昨日は前荒川区長の旭日重光章受章祝賀会、ニューオータニホテルで三百数十名の参加者で大変な賑わい。テレビでよく見かける政治家もたくさん来賓で挨拶していた。どの祝賀会でも数十人は知り合いがいる。世間は狭いものだ。またこの月は警察関係、消防関係の1泊2日の研修旅行が毎週続いた。本当に忙しい月であった。今年の12月は忘年会12回、通常年より5回くらい少ないがその分、1月2月の新年会が増えている。いろいろ受賞されている方の共通点は仕事だけではなく無償の社会奉仕をしている点がある。よく言われる忙しい人に仕事は集中するという。これは手順手際のよいことは勿論であるが、多くの協力者の存在がある。ひとりで出来ることは数少ないが人を使う使われるという関係が成り立つのは先ず、自分から手助けすることだと思う。名言の中に、かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻めとある。中々できることではないが残り、仕事以外で何が出来るかを考える年齢になってきている。今年の仕事納めは26日(金)毎年恒例となっている年越し、お正月用の突き立て伸し餅、福岡ふくや明太子、プリマボンレスハム1.2kg、日光溜り漬けを私の趣味で取り寄せ社員全員に渡している。家族で楽しんでほしい。仕事始めは1月5日(月)この間、9連休となる。来年の方向性をじっくり考えよう。

 

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東京電機大学経営同友会

母校を1975年卒業し50年を過ぎた。年齢と共に大学に関わる時間が増えてきている。切っ掛けは偶然に大学の理事長と上野精養軒の会合で偶然のばったり会い、電大の卒業生とわかると直ぐに事務局長が会社に入会の勧誘に来た。これがご縁の始まり。理事長は経営同友会の会長経験者であり有無を言わさずに入会。当時会員が120社以上あり大企業から創業社長まで個性のある経営者集団である。しばらくすると事業推進委員会の委員長に指名された。この委員会は何をしているのか分からないまま数年が過ぎた。性格からいって何もせずに名前だけという事がどうにも腑に落ちずに学園祭に出展する企画を提案。現在も続いているが旭祭に経営同友会の会員企業の製品展示に始まり企業紹介を始めた。今年も11月1日(土)2日(日)と二日間、開催される。昨年からは電大の卒業生でもある今は亡き、円谷英二監督の足跡やウルトラマンの制作過程など円谷プロダクションから無償で資料提供を受けて展示、大好評であった。今年はさらに未発表の資料を取り寄せ展示内容を拡大する予定。電大卒業生は十年以上前の雑誌でも取り上げられたが日本の創業社長率は1番という時代もある。毎月のように東京千住キャンパスで懇親会があり、結びつきが深まっている。今年に入り校友会の理事に推薦され、財務委員会に所属している。この二つの会合で月に2回ほど夕方に開催される会議に大学に行くようになった。今まで数多くの地元の行政や外郭団体の役員になっているが電大の結びつきは同じ卒業生というだけなのだが何となく気が休まる時間だ。このご縁を大事にしていきたい。

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仕事と作業

最近の人材不足の解消方法は見当たらない。中小零細企業にとって出来ることはハローワークを通しての新卒採用、ネットでの募集、ホームページへの誘導、採用面談会への参加、展示会への出展など過去何回もチャレンジしてきたが結果が出ない。採用を目的としたユーチューブの作成を行い公開しているが反応は全くと言ってよいほど無い。一方、昔で言うフリーターよりもっと短時間で働くバイトも持て囃されている。働く意義をどのように考えているのかの教育はどこで誰がやっているのかさえ分からない時代。夢、希望、将来と言う言葉を頭の中で考えるタイミングは入学、卒業の時に有ると思うがこの時代には区切りと言う時間軸は無いようだ。創業して33年になるが仕事と言う言葉は当たり前のように使って来た。第一は食うためであるが格好付けて云うと社会や組織の中で役割や責任を全うする時間を人々の幸せを造るために費やす事が仕事をするという想いがある。だから皆さん就職は真剣に考えた。私の場合は30歳で起業しようという夢があったためか腰掛けとしてしか考えていない不届き者であったので会社選びは特段のこだわりは無い。今の就職を迎えた若者たちはどう考えているのか?親、先生の推薦する会社が優先になっているようだ。これは失敗した時の強い言い訳になる。この時期、自分のやりたことが見つからないから言う通りにしたというであろう。今思うに仕事は死語になりつつ、作業が本来の仕事になっている。作業とは過程のことで点で繋かる故、時間だけの働き方が成立する。仕事は目的と責任があり、作業は指示された事を淡々とこなすだけだ。人材不足を解消するには作業から仕事への揺り戻しが必要だと常々思う。

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変化と進化

変化は性質や状態が異なるものに変わることと云われており、進化は物事がより良い状態変化するとのこと。つまり変化は進化を伴わない関係にあると一般に云われている。ふと、この2文字を見た時、直感的に思った。これを時間軸に例えると変化は水平、進化は垂直ではないか?企業活動で考えると社員には変化を求める教育を常に行って来たが、結果を求めても変化しているかを観ることは難しい。本人の意識は言われたからやっている。言われた以上はやらない。やった結果、自分でも身になっているか分からないのが本音。しかし、云われたことをやったのだから評価しろ!この考えが世間で通用してきた。冷静に考えればわかることだが同じ目線、同じ速度、同じ成果をあげているだけで他より頑張っていると評価することは出来ない。聞くところによると今の小学生の徒競走は手を繋いてゴールするという、順位をつけない教育。この考えに陥る経営者は脱落していくのを間近で見てきた。では、どうするかと考える。変化は当たり前という基本を頭に入れ、進化は垂直という発想転換が必要だ。垂直に進むということは上も見えるし下も見ることができる。ウッカリすると落ちることもある。このように登らなければならない環境の中で上に行くことだけが会社としてのあるべき姿。結果、企業として生き残りと共に社員に還元できる唯一の道標となる。明日から上期の残り1ヶ月となる。自分で仕事の枠を決めないで枠を外して上を目指して進化していこう。

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令和7年盆休み

何年か前から会社全体の盆休みは取り止めた。大きな要因としてネットミルを始めとしたBtoCの分野への進出。創業から電力業界に携わり、お得意様の休みに合わせて全社一斉に夏休みを取っていた。9連休もしっかり取っている社員も多い。たまにはゆっくり家族サービスをしてもらいたい。一斉の休みをやめた理由は高齢者見守りという業界進出にある。見守りにあってはいつ何時異常情報が上がってくるか分からない。見逃しは絶対に許されない仕事。契約上、警備会社との連携も重要。開発したネットミルは国内初の仕組みでクラウドを使い、PHSで1分毎の電力量を計測して電気の使い方から生活リズムを解析し日常の電気の使い方がおかしいと判断するとメールで配信するという仕組み。当日の警備会社では電話回線を使い、人感センサーが働いていない時間を計測して通報する仕組みしか無かった。通信も時代と共に物凄いスピードで進化してあっという間にLTEの時代になった。ネットミルもLTEを導入しPHSではカバーできなかった国内エリアに対応できるシステムを構築した。いち早く市場に出して荒川区役所でも採用されて展示会にも積極的に出展。一定の評価を受けた。しかし、見守りという仕組みは駆け付けが必須の条件。この緊急出動体制を維持するには人件費という先行投資が避けて通れない。最近では中小警備会社の撤退や廃業が増加している。人を見るには、やはり人となる。AIがいくら優秀でも最終的な対応はマンパワーしか頼れない。毎年の事で有るが盆休みは創業以来取ったことはない。このブログもこの時期、世の中は休みが多いため電話は来ない。空いた時間にタイトルとは異なる内容となったが思いつくまま記してみた。

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令和7年夏季賞与

賞与については社員全員が集まることができる平日の夕方に決めている。よって支給日は毎年変わる。今はケーブル工事で神奈川へ出張のため帰社を待っての支給となった。毎年、支給日までの対前年比収入比較と今後の見通しなど話すが、今回は総務担当がプライバシーマークの更新作業に追われ当日に監査ということで資料が間に合わずに毎回言っている繰り返しの話をした。賞与支給日という事でお金にまつわる話をすることにした。先ずは給料はどこから来るか、現場の仕事の成果として発注主から入金があり経費、給与を払う、つまり現場が無ければ給与は無い。昇給の考え方は昨年の売り上げと今年の売り上げ予測から希望的観測の上、昇給額を決める。昨年と同じ仕事、売り上げの場合は昇給は不可である。歴史のある大企業は毎年なぜ昇給が出来るかというと定年退職者がいるからだ。この退職者の人件費は大きい、この支払い額を次の世代の人件費の昇給に使える。当社の場合、創業して33年であり中途入社してきた社員が一昨年一人定年退職したに過ぎないので効果はない。そして給与の日給月給の話をする。建設業界は下請けになればなるほど支払いは日給だ。働いた分だけの支払いなので経営者は一番楽な仕組みだ。働く側に立ってもキャッシュフローが目に見えて働けば働くほど手許金が増える。しかし、休みの多い月や体を壊して休むと途端に収入は著しく落ちる。当社は創業時から月給制を取り入れている。また、完全週休二日制で有給取得率も85%を超えている。こんな労働条件の建設業をやっている会社は周囲でも聞いたことがない。こういう条件を理解することが出来れば不平不満は錯覚だと経営者としては理解してほしいものだ。では給与を高くするにはどうすればよいか。一つは売り上げを大きく伸ばすこと。次に効率のよい仕事をすることに尽きる。サラリーマンを18年やってきた経験からわかることは不平不満をいっても周囲が気分を悪くするだけで何も解決しない。言われた仕事だけやっていても昇給昇格はしない。自分で勝手に仕事の範囲を決めてそれ以外はしない。他人がやりたくない仕事は避ける。会社のために働くという事は、自分のため、家族のためでもある。まだまだ成長は十分可能だ。気持ちを人のためと変えることが一番の幸せにつながる。

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大阪・関西万博

東京商工会議所荒川支部で5月21日から1拍2日で万博に視察。ニュースでもたびたび出ていたが入場口で40分待たされた。これはセキュリティの関係で荷物検査に時間がとられている。最近の空港ゲートのように顔認証を事前に登録しておけばここまでの荷物検査はいかがなものかと感じた。この日は天気も良く汗ばむほどの陽気だ。日陰も少なく夏は熱中症が心配になる。入場者数ばかり気にしているニュースが多いが日陰の休憩所を作るべきだと思う。展示館は共通していて技術の進歩で著しいと感じたのは8Kだ。プロジェクターの進化も凄い。表現方法が今までにない立体感と360度の画像表現などあらゆるところで驚きを感じた。初日は移動と懇親会であったが長引く風邪で宴会は途中退席し20時頃、ホテルに戻り寝てしまった。翌日は万博を途中で引き揚げ広島へ移動し、防犯カメラのメーカーの代表に挨拶のため福山へ、ホテルの部屋は福山城が目の前でやっとリラックスできた。防犯カメラは犯罪防止の役目から自然災害、集団行動の監視まで幅広く利用できるように進化している。画像と音声連動による新しい試みも実証実験中だ。弊社もいち早く導入を決めてオリジナルな仕組みを検討している。27日にはグランドアーク半蔵門にて尾久防犯協会として表彰状をいただいた。これは102ある警視庁防犯協会で4協会だけが表彰された栄誉あるもの。今月から各種の外郭団体の総会が6月一杯続く。年齢とともに時間が過ぎるのが早いし、体調を崩すと治りが悪い。腰の手術後は運動らしいものは何一つやっていないので体調維持のための運動を探さねば思っている矢先、社員の長期入院によりその担当者の仕事を引き継いでいる。もっともっと時間が欲しい。

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過去を振りかえる

あっという間の平成6年、創業以来他業種にチャレンジしてきた。時代とともに要求される事業も変化している。創業時は東京電力の地中送電ケーブルの保守からスタートして徐々に洞道内の照明設備や換気設備、排水設備の改修工事分野に幅を広げてきた。地中送電ケーブルは当然、マンホールの中にあるため電源は無い。外部より供給すべく専用の電源車が必要になる。トラックに発電機を載せて車体の後ろに工事中という看板を設置するなど専用の改造が必要になる。これも溶接機でアングルを加工しながら組み立てし電源車らしき物が完成した。2tトラックのため発電機の重量が勝り非常に不安定な走行で作業をしていた。今から考えるとよく事故が起きなかったくらいラッキーであった。当時は社員も少なく学生のアルバイトでチームを組み作業していた。当時の協力会の中では新参者で既存の協力会社の手に余る仕事や利益の薄い仕事しか回ってこない状態が続いていた。しかし、来た仕事は絶対に断らないという信念のもと、徐々に面倒を見てやろうかという発注担当者も増えてきた。エリアも千葉、東京、神奈川、埼玉、多摩と小さい仕事の連続で先輩の協力会社が割が合わないという市場を開拓した。顧客の管理職の中で大学の先輩と飲んでいるときにこの業界だけでは一定のシェアの中での仕事となるため事業を拡大するのであれば他業界も開拓しないとだめだというアドバイスがあった。その先輩は長い歴史のある協力会社の新参者としてはいつまでも下でいるしかないという経験則からの意見であった。その意見をまともに聞き、手っ取り早い方法を考えると官公庁の入札が平等ではないかと思い何も知識がなく申し込むと全く資格がないという。それは入札時のランクを取得するために経審で評価され点数をとりそのランクがないと申し込みが出来ないという事実。知らないということは強い。ではチャレンジしようということで申請すると実績がないため一番下のDランクであった。ここからが当時の談合の波をかいくぐるための挑戦が始まった。この後は話は引き続き機会がある時に書き留めていくつもりだ。

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