平成28年新入社員入社式

本日より定期採用による2名の新入社員を迎えた。男性1名、女性1名で先月まで高校生という初々しさが残る面影。朝8時半より3階の会議室に社員全員が集まり辞令交付。男性は電力工事部で施工を担当、女性はネットミル事業部に所属し見守りサービスの顧客対応と官公庁入札案件の事務を主にやってもらう予定だ。4月1日は東京電力の分社もスタートして電気の小売りの自由化も始まるなど当社を取り巻く業務環境が大きく変わる節目の年になる。今までの仕事の進め方では立ちいかなくなることは明白だ。この危機意識を社員全員に持たせ会社の進むべき道と収入の確保を早急にやらねばならない。今後の営業体制の見直しと共に組織創りにも手を付けなければ明日は無い。4月2日は恒例の日光山輪王寺の強飯式に東京日光会として頂戴人に同行。大型バス1台をチャーターして37名で臨む。夕方からの祝宴は48名の参加者がいる。この会の幹事長をやっているがこの行事が終わると仕事一筋になる。

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高齢者用肺炎球菌予防接種

今朝、荒川区保健所から高齢者用肺炎球菌予防接種のお知らせが届いた。中には予診票と説明書が入ってる。対象年齢は平成29年3月31日現在で65歳から5歳刻みで100歳までの生年月日が書いてある。誕生日を2月に迎えたばかりでまだ64歳と思っていたところ65歳の枠に入っている。そして高齢者用というご案内だ。ショック!今後は高齢者枠の末端としてお役所から多種の「高齢者」の文字が入った案内が届くと思うとゾットする。明日から新年度のスタートだ。幸先よく入札案件も本日落札した。今年は幸齢者になるべく頑張ろう。

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(一財)東京城北勤労者サービスセンター評議委員会

本日午後6時より豊島区立生活産業プラサにて第3回評議委員会に出席。この評議会は荒川区、北区、豊島区がそれぞれ運営していた中小企業勤労者福祉事業を3区合併し会員の祝い金、見舞金、冠婚葬祭、健康管理事業、遊園施設の優待等を一本化し効率の良い福利厚生を行うことを目的としている。当事業所も全員加入しており出産、入学祝い金、インフルエンザ、社内旅行の補助金等有効に利用している。利用案内は「フレンドリーげんき」という冊子で年に数回会員に配布されている。明日で27年度も決算を迎える。収入については昨年より増加していると思うが期をまたいでいる案件もあり収支には時間がかかりそうだ。今年度は将来を見据えて電力事業、電設事業、ネットミル事業、環境測定事業の4本の事業形態を創り種まきをしてきた。4月からは新入社員2名を迎え、これらの事業に配置していくがセクションに囚われずにあらゆる機会を作り多能多技能な人材に育ってほしい。28年度は電気の小売りの自由化に始まり電力業界にとっては先の見えない時代になる。生き残るには他人がやっていることの一歩前に仕事が出来るように常態化して行かなければならない。得てして昨年と同様にしていれば自然と給料が入ると勘違いしている社員が多い。社内にも競争原理が必要な時代になる。

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事務所改修

今年の4月に入社する定期採用の社員2名分の座席確保のため2階事務所の机等をすべて処分してコンパクトな机24台に入れ替える。明日は休日であるが社員に出勤してもらい一日で改修する予定だ。この改修で1階に6名、2階で24名分で合計30名の社員収容が出来る事務所となる。現在、社員数23名であるので後2〜3年くらいのキャパはあるがこの成長が続くとあっという間に手狭になる。3階の会議室を事務所にすれば後20名は収容できるが会議室は飲み会会場にもなる憩いの場でもあるためこれは最後の手段だ。現場仕事の多い職場であるが帰社して自分の座る場所の有無はモチベーションにも繋がるので居場所は確保したい。

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風邪と花粉症

毎年のことであるが自分の誕生日前後から五月連休位まで花粉症に悩まされている。今年は更に風邪のダブルパンチ。遂に昨日会社を一日休んだ、今朝も半日休み午後2時から来客があるため出勤。昨日は東京商工会議所荒川会のゴルフコンペで朝6時過ぎに日暮里駅で知人をピックアップしていく予定であったがとても運転できる状態でなく朝5時から他のメンバーにお願いしてピックアップしてもらった。また、その夜に荒川法人会の正副支部長会があったがこれも欠席。今回の風邪は熱は出ないが痰が詰まり怠く頭が冴えない状態だ。こんな体調の中、今日の5時半から平成27年度あらかわ経営塾(第11期)交流会に参加予定。あらかわ経営塾の第1期生として当時の塾講師も参加するので顔出しだけはする予定。

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第37回荒川区産業展ネットミル出展

今週の12日(土)13日(日)の両日、荒川総合スポーツセンターにて恒例の荒川区産業展にネットミルを出展。今回はネットミルのほか日本アンテナの「ドコでもeye」ワイヤレスセキュリティカメラとYAMAHAのスピーチプライバシーシステムの展示を行う。ワイヤレスカメラは電源を接続するだけでカメラとモニター間はWi-Fiで飛ばすため無線だ。ほとんど工事が必要なくネットミルの市場とマッチしている。またスピーチプライバシーシステムはカウンターのある受付や相談場所において話の内容が後ろの人に聞こえなくなる仕組み。病院や薬局、市町村の年金窓口、銀行等プライバシーの保護に役立つ優れもの。荒川区役所のある相談所に導入済である。社会貢献事業としてネットミルはもちろんのこと、人に役立つサービスは自社製品にこだわらずネットミルとコラボして普及を目指す。荒川区産業展の次は16日から3日間東京ビックサイトでケアテックス2016に出展する。4月は大阪でバリアフリー2016にも出展するので準備と移動で忙しい時期となる。

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荒川法人会創立65周年記念式典

明日、午後4時30分からホテルラングウッドにて記念講演会「北野家の訓え〜強く、たくましく生きる!」講師は北野大氏。記念式典後に祝賀会が始まる。荒川法人会には本部監事として年数回、会計監査を行っている。ロータリークラブを昨年の6月に退会してからラングウッドに行く機会がかなり少なくなった。以前は毎週火曜日のお昼に伺っていたのだから今考えるとよく続いたものだ。ちょうどネットミルの拡販に勢いがついてきたので火曜日の昼の会合が無くなることは幸いだ。この1か月、金融機関のビジネスマッチに参加してからネットミルの問い合わせも増加中である。スマートメーターとの連携も今後大きな展開になっていくので開発と販売でしばらくはネットミルに集中だ。

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中途採用者の退社

今年の1月に中途採用した社員が早くも今月退社の運びとなってしまった。前職は事務系の派遣会社から中堅プラントの事務処理係として勤めていた。現場で手に職をつけようと思い電気工事士の資格を持っていたためハローワークを通して応募してきた。面接時に現場についての厳しさ楽しさをかなりの時間をかけて話し理解をした上での採用となった。たまたま、新規事業でもあり年度末の繁忙期で土曜出勤や早出が重なった。しかし、このような事はすでに話しており了解いただいているものと思っていた。電気工事会社の中でも当社ほど週休二日制の完全実施と有給休暇取得率の高い会社は無いと自負している。一般的なビル、マンションの内線電気工事の場合は建築工事の進捗に合わせた工程となるため休みなど有ってて無いようなものが現実だ。この2か月にも満たない間であるが当社の社員として必須である酸欠およびアスベスト関連の資格を計5日間かけて取得させた。勿論、費用と時間は全額会社持ちである。空しさと残念さが残る巡り会いであった。若者よ我慢の二文字を忘れるな!これからの日本の発展と己の幸せを実現するには我慢と努力以外に無い。このような落伍者を見ているとかえって当社社員の優秀さを再確認できた。まあ、これで良しとしよう。4月1日には新卒2名の入社がある、鉄は熱いうちに打てというがその鉄は使われていない新品のほうが癖が無く良いようだ。

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スマートメーター取り付け

本日、自宅の電力メーターをスマートメーターに交換する。この交換により申請していた電力メーター情報発信サービス(Bルートサービス)の受信が出来るようになる。会社別館も3月7日にスマートメーターに交換する。スマートメーターの付加サービスとしてBルート、Cルートサービスが開放されているがこの情報発信サービスの利用については生活情報そのものであるため色々なデータ活用やサービスが検討されている。その中でも電気の使用量から分かる見守りサービスであるネットミルは最高の相性である。各業界からも注目を集めており協業依頼が増加中である。IoTそのものであるネットミルの仕組みが日本の見守りサービスのスタンダードになる日は近い。

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64歳誕生日

1952年2月25日(月)群馬県富岡市で吉川助雄、琴の五男坊として誕生。親父が現在の富岡製糸場でサラリーマンをしていたが東京で一旗揚げるためか甘楽幼稚園を半年くらいで退園して東京に移転した。そのため幼稚園は中退ということになった。東京は最初、北区堀船の梶原商店街を横に入ってすぐのアパート。玄関はひとつでトイレも共同で隣の四畳半部屋は確か3人家族がいた。この頃は何処の家も貧乏で6畳一間に5〜6人寝ていた。服はお下がりで新品は遠足の時にやたらとデカい上着とズボンを履いていた。これは数年先まで着られるようにとお袋のアイデア。暫くして荒川区西尾久に引っ越して現在もある七福金属の創業に繋がっていく。工場と自宅は共用で住み込みの社員が常に数名同居しており親父の考えから食事、お風呂は働いている者が先というルール。家族で一緒の食事や旅行の記憶は無い。小学校は尾久西、中学は七中という地元中の地元。高校は東京電機大学付属高校から今もご縁がある東京電機大学工学部電子工学科を卒業した。七人兄弟の内、長男次男は家庭の金銭事情で大学を断念したが三男からは大学へ進ませてもらった。今思うと親父お袋は会社を創り、社員を親元から預かり育て、子ども七人を曲がることなく大学まで行かせることを難なくやった。あらためて自分には出来ないと思う。この親父の背中を見ていたのが影響したか、大学を卒業したら起業して社長になろうと漠然とと考える。今回の誕生日は卒業までの思い出をピックアップしてみた。来年の誕生日にはその後を順次書いていきたい。

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