組織改編

平成4年に創業して31年になる。当初は電力業界の地中送電部門の保守工事から始まり、千葉を筆頭に東京、神奈川、埼玉、多摩、静岡など関東一円で仕事があれば飛んで行った。東日本大震災の影響でそれらの仕事が一旦止り相当なショックを受けたが創業後10数年で多角化を始め、東京都荒川区の官公庁電気工事等の入札案件を受注するようになり、更に新規事業で電力中央研究所との提携により高齢者の見守りシステム「ネットミル」を商品化し荒川区役所に採用された。その後、環境測定事業やホームドア工事に進出して一定の売り上げを確保していたがどちらも工程管理が難しく結果的には思っていたほどの拡大に繋がらなかった。時代と共に仕事内容を変化させていかないと継続は出来ないと痛感した。来期からは拡大一辺倒から事業を絞り込み、付加価値の高い業務にシフトしていく。電力工事や見守りは社会インフラのひとつである。そこで中心にインフラ事業部を頭に、施工チーム、マルチタスクチーム、ネットミルチームの3部門に集約。施工チームは6万ボルトケーブル工事を全国的に行う。マルチタスクチームは電力の保守部門を専門に行うほか、ネットミルで従来から行っていた街頭防犯カメラ工事保守と東京都荒川区他の電気空調工事など幅広く対応していく。ネットミルチームは従来の見守りを中心にサービス体制を継続していく。この編成により専門家を養成して他社からの参入障壁を高くして日本でトップのケーブル工事会社に育てていく。

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仕事の目的

鶏が先か卵が先かは関係ある事柄においてどちらが最初に行われたかわからない様子を表すのに最適な言葉。では「会社のため」、「自分のため」という言葉に置き換えて考えてみる。これは公務員と民間の営利目的の会社では当然異なるが。営利目的である会社は先ず、会社のためが優先だ。会社はお客様に提供した仕事の対価として報酬をいただく、その報酬を平等に配分することが経営者の重要な仕事のひとつ。社員はお客のために働く、つまりお客の会社のために働く。これが自分のために働くが最初になるとどうなるか。お客優先ではなく自分優先となるだけなら良いが問題は自分の可愛さやお客から追求されることを回避するためにお客の事を聞いているふりをして収支構わず仕事を納めてしまう。そこには取り敢えず場を納めるという「自分のため]という保身的な考えが支配する。サラリーマンは毎月決まった日に給料が振り込まれる。自分のやっている仕事の収支には関係なく、いや全く考えてもいないだろう。毎日決められた時間に仕事をしているから当たり前だと思っている。その仕事が「会社のため」か「自分のため」かを改めて考える教育も必要だ。会社の収入は日給、給料は月給。この差をしっかりと勉強しないと成長と配分はできない。来月には社内の人事や組織を大きく変えていく予定だ。この組織改革により次の成長と新たな人材育成へと繋げていく。

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MRI検査

地元の整形外科医に通い、毎週ブロック注射で腰痛治療を行っていたが、思っていたよりも緩やかな回復であり根本的な治療ではないので手術での改善をお願いしていた。紹介状を書いていただき先週に駒込病院で先生と相談後レントゲン検査、そして本日午後よりMRI検査を行うことになった。来週、結果を診てからどのようにしていくか判断する。希望としては5月の連休前に手術ができればと思っている。ここにきて身体のあちこちで不具合が見つかる。2か月前に歯医者に行きお勧めで奥歯を抜歯。その後、隣の歯が欠けるというアクシデント。本日その治療している歯の仮歯を取り型を取ったものに入れ替える。最近、周囲の知人も体調の変化による入院や検査が続いている。やはり年齢によるものが多くみられる。身体ばかりだけではないスマホも入れ替えたが数か月後にNFCのアンテナ不良ということが分かり修理中、今日戻ってきた。その間、代替品のためスイカの設定等大変な苦労をした。また、愛車のナビも壊れ修理に出すが取り寄せのため相当な時間が掛かるようだ。ディラーにそんな回答はないだろうとクレーム。今週の日曜日に代車を出してもらうことになった。すべてがネット社会のためハードの不良を確認するだけでも時間がかかる。製品に対しての不具合箇所の特定もハード、ソフトとまったく別の会社が対応しているため販売会社も苦労しているようだ。ソフトと云えばインターネットエクスプローラーも今月中旬にサービス停止になる。ネットミルもIEで表示しているので切り替え作業にてんてこ舞いしている。ソフト無しでは生きられない世界。ロシアとウクライナもネットで騙し合いの戦いをしている。何が真実かを見極める力が増々必要になってくる時代になった。

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尾久八幡神社節分祭

コロナ禍前は恒例であった境内における豆まきを今年催行する。氏子崇敬会は午後4時前に社務所に集合、本殿に移動する。本殿にてお祓いを享け、宮司の賭け声と共に用意された豆を撒く。そのころには近所の小中学生の子供たちが境内を埋め尽くしている。その後、境内に移動して太鼓の合図とともに多くの子供たちに向かってお菓子を捲く。節分は鬼を払って新年を迎える、立春の前日の行事と云われているがなぜ豆を撒くか諸説あるようだ。豆は鬼を滅ぼすで豆滅に通じるという語呂もあるようだ。子供の頃は住宅の建前の時や群馬の田舎ではお葬式の時に何やらまかれたものを一生懸命拾った記憶がある。何か手に取ると非常に得をした気持ちになった。今日はとても寒い日だ。待っている子供たちも大変だろうが子供にとっては仲間を誘い楽しみにしていると思うと寒いと言ってはいられない。大きな声で邪気を追い払い福を呼び込もう。昨晩は久しぶりに開催された母校の経営同友会の新年会に参加。大先輩で経済界でも絶賛されている経営者の一人でもあるマクニカホールディングスの創業者の神山名誉会長も出席。有難く名刺交換させていただいた。創業一代で年間売上7600億円の会社を創った有名人。見るからにオーラがあるが謙虚でもある。本も出版されている。他の創業社長も沢山出席していてまだまだひよっこだと改めて認識、非常に刺激をいただいた楽しい一日であった。

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腰痛治療

毎週1回、近所の整形外科に腰のブロック注射に行っている。中々改善しないので先生に手術はどうかと相談したところ都立駒込病院を紹介してもらうことになった。2月の中旬に行って診察を受けて5月の連休前に手術希望を伝えるつもり。腰痛は症状は恐らく十年以上前から兆候はあったと思うがコロナ禍前にゴルフコンペに行くと18ホールを回ることは出来なくなっていた。酷い時は1ホール目でリタイアも何度か経験した。特に冬場は寒い場所に行くと動けなくなるほど辛かった。腰痛治療として鍼灸院、大学病院の外科、、マッサージ、整体などの他、家では腰を伸ばす機械やマッサージチェア、電気治療器や他人が勧めることは何でもやってきたが一向に治る気配は無かった。たまたま親戚の伯母が行っている整形外科が良いという事で通い始め、薬が合わないためブロック注射での治療に専念してきた。やっと外科手術での治療が見えてきた。駒込病院は創業して3年後くらいの3月に40日間入院した。この時は48時間位一睡もせずに現場仕事をしていた。胆石、盲腸から腹膜炎、小腸の潰瘍が同時に症状に現れ、当初は検査が30日くらい続き胆石の手術後3~4日で退院した。上手くいくかは神のみぞ知るがこの痛みが続くことを考えると成功することを祈るしかない。体を健全にしないと運も良くならない。京セラの稲盛和夫創業者の言葉に人生の明暗を分かつものは心の持ちよう。苦しい時こそ明るい希望を失ってはならない。また、成功した時こそ感謝の心を忘れてはならない。稲盛先生の著書は何冊も読んでいるが夢を持つことの大事さが基本である。前を向いて戦おう。

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新年安全引き締め対話

5日仕事始めの日、9時半より地元の尾久八幡神社にて安全祈願を社員全員で参拝祈願。お祓い後、挨拶回り。15時より会議室にて安全引き締め対話集会。これは昨年の反省と今年の目標を社員各自より2分に集約し発表してもらった。昨年来、電力工事事業と官公庁工事、ネットミル事業の3事業に集約したがそれぞれの仕事はリンクしていないが個人の反省と目標は共通している。大事なことは同じ失敗を繰り返さないこと、目標達成を実行するためにプランニングすることだ。言われてやるのではなく自発的に考え記録することが重要。プロセスの見直しは構わない、遠回りしても一年後に必ず成果がでる。会議後はお弁当を取り、新年会。コロナ禍後は持ち帰り可能な食事にして流れ解散にしている。今年は電力ケーブル工事に集中して人員配置を行い、地域を意識せずに受注拡大していく。4月からは新入社員も二人入社して来るが電力工事部門に配置する予定。30年前の体制に戻すが当時は6万ボルトケーブルの引き入れ工事等夢にも考えられなかったがやっとこの数年で夢がかなってきている。思い続ければ実現できる、思わなければ何も出来ない。この先もこの気持ちを忘れずにスタートダッシュしていく令和5年。

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令和5年元旦祭

今年の元旦は天気も良く1月1日、尾久八幡神社での元旦祭に氏子崇敬者として参列。午後1時より社務所を通り本殿にて祭礼。西川荒川区長、尾久警察署長、尾久消防署長を来賓に迎え宮司によるお祓いとお榊を奉納した。今年はコロナ禍以前の式後の直会いを社務所の2階で行いお清めの乾杯と食事会を開催した。崇敬会の参加者は地元の町会役員が多く、新年の挨拶もこの会合で出来るので地元の挨拶回りがいっぺんで済むので助かる。明日は荒川区の新年祝賀会に参加。サンパール荒川で開催される。コロナ禍のため区長を筆頭に区議会議長、都議などの来賓者の挨拶で終了予定。懇親会が無いため参加者はどれくらいになるか分からない。5日から会社の仕事始め。今年は原点に戻る年、30年寿命説もあるが何とか乗り切ってきた。原点とは来た仕事は断ってはならない。何でもやるのが基本。社会人としてホウレンソウ、挨拶、整理整頓、率先垂範そして人が嫌がる仕事こそ商機がある。また、不平不満、愚痴、批判は何も生まれないことを再認識する。提案と実行こそ生きる道だ。今年は新型ウインチカーの導入する年、この大型投資は5年後には華を開く。業界トップを目指す初年度だ。もう一度創業時の精神に戻り我武者羅に働く年となる。

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令和4年を振り返る

平成4年4月に荒川区にて創業して丁度30年経った今年を振り返るとコロナに始まりコロナで終わったが悲しい訃報が続いた年でもあった。一昨年の暮れには七人兄妹の三男が逝去。亡くなる何か月か前に突然電話があり、以前に私が自然気胸で入院していた状況はどうだったかという電話であった。その時は気にも留めていなかったが兄貴は何となくシグナルを送っていたかも知れない。今思うと直ぐにでも家に行って話を聞くべくだったと悔やまれる。翌年の4月にはサラリーマン時代の直属の上司でもあり40数年間公私にわたりお付き合いいただいた人生の師の一人でもある方を見送った。ブログを欠かさず見て気に留めた日記があると感想をメールで頂いて激励とお褒めの言葉を率直に言って貰える大先輩でもあった。8月には創業社長であり、青森から裸一貫で苦労してプレス工場を立ち上げ自動車業界では無くてはならない企業を創った大先輩。休日になると電話が有り、一杯飲もうとのお誘いが二十数年間続いた。常にご馳走になり元気な頃は二次会も必ず行き楽しい時間を過ごした。最後の職人経営者として尊敬していた。同月、創業以来初めて社員を亡くすという悲しい経験もした。定期健康診断の結果を大事にして治療すれば防げた内容に悔やむ。また、個人的にサラリーマン時代から三十数年テニス、ゴルフを通して旅行やコンペなど数えきれないプライベートなお付き合いをさせていただき、更には別荘までいただいた俳優さんのあまりにも早い別れがあった。今まで自分を育ててくれた先輩と同じことが出来るか甚だ自信がないがそれが出来るように精進していこうと思う。来年はうさぎ年、もっと飛んで自分の周囲にいる関係者の幸せのため頑張って行こう。

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増える忘年会

昨年の忘年会はスケジュール表を顧みると9回。今年は13回だ。人と会う回数と比例して情報量も増えていく。先般出展した新価値創造展の出展者の中にも見守りをテーマにした開発商品が目に付いた。残念ながら当社で経験してきた失敗や不具合を解決できていない製品が多く見られた。その出展者に声かけをしてこのような点を改良したほうがより良い製品になりますと数多く提案した。やはり直接会い、会話すると新しい情報交換が出来るものだ。逆に次の開発においても取り入れたい技術もあった。コミュニケーションの大事さを改めて感じた。新型コロナ禍にあって一日2万人を超える感染者とインフルエンザも増加している。最近、周囲ではコロナ感染者や濃厚接触の情報がめっきり少なくなってきているのでニュースで見る感染者数はどうも麻痺してきている。これも情報がテレビやネットでの入手になっている証拠だ。毎年コロナに始まりコロナで終わる時代が普通になってきている。これからは長期的なエネルギー問題の解決無くして政治も事業も成り立たなくなってきている。来年度実行する新型ケーブルウインチ車製作の助成金の遂行状況報告の確認のため担当者が来社し書類の確認にきた。他社においても納期遅れが顕著になってきているので納期だけは厳守と云われた。中には納期の見通しが立たずに折角の助成金を辞退する会社もあるという。コロナやウクライナ問題、半導体など部品の調達が儘ならない事態が続いている。今期中に納期の目途を付けるべくメーカーと打ち合わせに入っていく。自社の力だけではどうにもならない点もあり来年早々、尾久八幡神社の元旦祭にお参りするので最初のご祈願としよう。

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おもてなしの変移

先般、日曜日から地元の外郭団体の研修旅行に一泊二日で行ってきた。プロが勧める旅館の上位に位置する有名旅館だ。おもてなしで有名な和倉温泉「加賀屋」があるが引けを取らないという評判の宿。ところがこのコロナ禍で人手不足は顕著。60名弱の団体であるがお迎えも特段筆するところは無い。また、部屋に4人で泊まるがドアの鍵は2本だけ、温泉に入るときにも同室の人にいちいち言わなければならない。朝食券は4人一緒でないと入れないという。好きな時間に食事もとれない。コロナ禍前の団体旅行の対応そのままだ。昔は料理は一流といわれる旅館が本当に美味しかったがその味は東京の創作料理専門店でも十分だ。懇親会の食事も仲居さんが少なくお酒も自分で取りに行く状態、料理も自席で温める鍋類が中心となっている。すべてが悪循環になっている。団体であっても個人の行動は束縛されたくないものだ。まして、おもてなしで売っている宿泊施設はせめて鍵は各自、食事も個人で自由にいける環境創りが必要。それには設備投資も伴うが生き残りるための必要投資だ。これからはおもてなしよりも自由時間を本人の思うがまま過ごせる宿泊環境を創れるホテル・旅館が生き残れる条件だ。良いところは数十億で改装したという温泉施設だけであった。

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