危機感の共有

忙しい時は仕事を断る。暇なときは時間を上手く潰す。今まではそれでも会社は回ってきた。しかし、コロナ禍にあって世の中はすべての考え方、進め方が未踏の地へと歩んでいる。手探り状態で日常はあっという間に終わっていく。しかし、数字は見事にこの怠い雰囲気を見事に証明している。明らかに昨年とは業務量は落ちている。昨年と同じ仕事をしていても空き時間が増加している。これらの毎日の隙間をどのように埋めていくかが仕事のひとつになってきている。この隙間を感じることこそが危機感の持ち方の違いだ。創業以来給与は月給制にしている。仕事の有無に関係なく安心して生活、家族を守れる会社にしたいと経営者リスクを積極的に挑戦してきた。しかし、これらの働き方は今後は通用しないことが見通せてきた。売り上げに応じた支出、この当たり前の事を実施しなければ生き残れない。創業時に立ち上げた事業は10年間程度は100%で継続してきたが現在は、全体の売上の2割強となっている現実。一本足打法の限界を感じて多角化してきているが請負事業の果敢無さ、発注先の都合で売り上げが左右されるのが現実だ。自分の力で外部環境に依存しなくても生きていける企業創りが目標。これが実現すれば社員にとって良い会社になる。そのためには危機感の共有が一番大事なことだ。

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社員教育

社会人になってからよく聞く言葉に社員教育がある。この言葉の意味するところは会社に入ったら稼ぐということ。そのための教育。小学生から大学まで〇〇教育の前に付く言葉は耳にしない。例えば生徒教育、学生教育、先生教育などは聞かない。これは授業料などお金を払って勉強する時には使わない使えない言葉と理解している。就職してお金を貰うような立場になると教育し一刻も早く会社、社会に貢献しなければならないために社会常識に始まり名刺の出し方、挨拶、宴会の席順など会社の風土に合った教育が必要になる。その前提として親が子供にする家庭での教育がなされていることが最低条件である。しかし、最近の若者はこれら家庭の教育があったか疑問だ。挨拶は出来ない、返事はしない。言われなければ何もしない。言われたことしかしない等、家でこんな生活をしていたら親にぶん殴られたものだ。一刻も早く自分の力で生活したいと常に思っていた。我らの時代は当たり前のことだ。どこの会社も即戦力を欲している。だから教育するのだが先輩社員もなっていない。気が付いたらその場で叱ったり指示しなければならないことがあっても知らんぷりしている。会社全体の雰囲気もどんどん悪くなる。陰で文句を言っても何も解決しない。気が付いたら行動、率先垂範が会社の命の根源。本当の社員教育は社員同士で行うことが成長になる。一昨日、蓼科の保養所に行ってきた。緑に囲まれた中でのゆったりとした時間を過ごした。睡眠も信じられない位、熟睡した。このリラックスできる場所と時間が取れる環境は大事だ。自分への心の再教育とご褒美と感じる。

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非接触型勤務

コロナ禍の中、働き方が激変している。表現する言葉も多様だ。古くはフレックスタイム、テレワーク、在宅勤務(自宅待機)、新常態、接触型非接触型など新語が多く出てきている。日本の給与の基本計算は工場労働。働いた時間と生産量により決定される。これが人件費となり材料費、販売費などが上乗せされて商品価格になる。最低賃金制度もこれに縛られている。しかし、新型コロナの感染が始まる以前から現在の働き方は時間、場所の制約はなくなっている。以前より仕事の成果が働いた時間に比例しない職種も多種あり工場労働型の計算は無理がある。ここにきてコロナ禍だ。会社が始業終業時刻を決めて画一的に管理する制度は過去の物として考える時代だが法律は以前から変わらない。経営者にとって各種の縛りがある労働者保護制度を変えていかないとテレワークの普及はおぼつかない。通勤や事務所で働くなどは過去の言葉に成っていくかも知れない。建設業にあっても個人が付加価値をどれだけ生み出せるかが勝負だ。重要なことは何時間働いたかではなく、何をやったか、どのような成果を出したかが重要。社員でも忙しい忙しいという者がいる。これは段取りで解決するのだが忙しいという事で自分を守っている、そしてこんなに仕事をやっていると自己満足しているだけだ。私も含めて能力が無い者は人の何倍か時間を使い追いつくことが唯一の解決方法。人並みの時間働いて上に行くことなどあり得ないことだ。

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令和2年夏休み

8月24日(月)から1泊2日で夏休みを取った。東京駅8時頃の新幹線に乗り、奈良大和路の総本山長谷寺に向かう。長谷寺は今年の6月までの任期で事務総長をしていた日暮里養福寺の住職のご案内で十一面観音菩薩様の御前で安全祈願を享ける。その後、観音様の御足に直接触れてお参り。昼食を頂き、京都リーガロイヤルホテルに移動、軽くシャワーを浴びて祇園の料亭で懇親会。翌日は御室御所仁和寺へ。平成の大修理を終えた観音堂をゴーグルを付けてバーチャルリアリティ(VR)鑑賞。このVRは7月から試験中のもので一般公開は予約のみの受付。何しろ2台で運用しており一人が使用するとこの時代、消毒から除菌まで時間を掛けて行っているので40分間隔とのこと。VRをじっくり見た経験が無かったので本当に感激した。観音様が目の前に現れ3Dの中で別世界にのめり込む不思議な体験をした。霊宝館では特別に学芸員が同行して館内を隈なく説明していただいた。仁和寺を後にして旧嵯峨御所大覚寺に移動し参拝、大覚寺は数年前に尾久の宝蔵院住職が根室時の館長をしていた時にご一緒に参拝している。こんな時期のため来館者はどちらも少なくゆっくりと参拝することが出来た。一刻も早く新型コロナの終息と会社の発展、社員の安全をご祈願する旅であった。

 

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介護離職

人生誰でも親との別れはある。高齢化社会、核家族化により日常生活の中にあって親との会話、交流は以前と比較するとかなり少なくなっている。既に他界している両親はともに7人兄妹であった。よって親戚も多く、お墓参りなど大型バスで行ったものだ。自分も七人兄妹の五男であり、会社経営をしていたオヤジは住み込み従業員第一主義で食事、入浴は先ず従業員からであり残ったおかずを兄妹が食べるという、昔であれば皆やっていたこと。自営業であり七人兄妹ということで兎に角仕事が忙しく親との会話は記憶にない。亡くなる数年前から土日になると電話があり飲みに行こうとのお誘いが増えた。そんな時でも仕事の話はせずに何となく居るだけで嬉しそうだ。今思うと一緒にいる共有できる時間が持てるということがお互いが幸せであったと思う。「親孝行したいときに親は無し」ということわざがある。これは亡くなってから思う事。最近、介護離職という事態が増えているようだ。当社でも最近あったことだ。個人それぞれの考えがあるが介護状態になってあたふたして急に傍にいることが親孝行という錯覚に囚われる。誰しも経験があり、それを冷静にとらえて乗り越え、送ることがお互いの幸せだ。当事者の気持ちは十分過ぎるほど理解できるが、そのために仕事を辞めるという判断は如何なものか。これからの長い人生を子供が幸せに過ごしていくことが親の気持ちだと思う。マスコミでもよく取り上げられるが介護離職した後の就職は厳しく立ち直ることは困難だ。その現実に遭遇した時では取り返しがつかない。今生きている元気な時に顔を出すことが一番の親孝行だ。

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盆休み

数年前より会社での一斉盆休みは廃止した。創業以来、お得意様の夏休みに合わせお盆は休んでいたが、今は荒川区のネットミル、自動通話録音機、感震ブレーカの取り付け、町会防犯カメラの点検などエンドユーザに対してのサービスが多くなってきたため電話対応や問い合わせ、相談など多岐にわたるため夏休みは各自の都合で休むようにした。しかし、何といってもお盆。13日、14日はほとんどの社員が休みを取っている。出勤者は4人のみだ。電話も業務用は少なくエンドユーザからの電話が多い。仕入れ業者もメーカーが休みのため連絡はないが全ての業務において緊急対応の体制は必要。すべての社員には会社の携帯を貸与している。一日1回は着信確認をするように指示している。お客さんから困った時の志幸といわれるように連絡網はしっかり取れるようにしている。そんな中、来年には都議改選がある。そのため最近は立候補予定者からの手紙や訪問が増えてきた。このコロナ禍で街頭演説や地域集会が出来ないために苦慮しているようだ。酷暑が続いている、役所の現場は工期に合わせ動いているので明日は現場に入る予定。昨日、消防署の協会担当者が来社。熱中症と新型コロナの症状は似ているらしいので救急隊員や病院は大変な苦労をしているとのこと。一方、こんなに静かだとこれからの会社はどうなるのであろうかと頭をよぎる。こんな時こそ今の業務の見直しや利益向上をじっくり考えたい。

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安否確認

先日、会社付近の一戸建てのの住人の玄関前に町会の回覧板が数日置いてあった。80歳を過ぎた一人暮らしの女性ため様子を伺いで玄関から呼びかけや電力メータの確認、エアコンの運転状況を見たがまったく動きが無いため、町会長へ状況を連絡すると暫くして救急車、ポンプ車、パトカーが到着。消防、警察署員12名位と一緒に立ち会うことに。2階の窓が未施錠であったため梯子で消防隊員が入室、部屋のすべてを確認して不在であった。一安心した。しかし、町会を始め周囲の住民が連絡先を知らないという現状はどうしたものか。個人情報保護があらゆる面で障害になっている。町会名簿に載っている電話番号は使われていない。いつ起こるか分からない災害や孤独死などが発生した場合に周囲の対応は何もできない。地域の安全安心は地元のコミュニケーションが第一だ。連絡簿の整備と保管は重要な課題。無事を消防署長、警察署長に御礼の電話をしたところ最近ではそのような連絡をしてくれる住民が少なく、逆にお礼を言われた。ネットミルの普及が拡大すればこのような心配も不要になる。昨日は夏季賞与の支給をおこなった。コロナ禍にあり見通しのつかない中、出来る範囲の賞与であった。今週は社員のほとんどが夏休みに入る。来週からは英気を養った顔で元気に仕事に励んでほしい。

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心遣い

最近現場に出ることが多い。会社に戻ると作業着は上下ともびっしょりだ。会社のコミュニセンターにはシャワールーム、洗濯室がある。先日、あまりにも汗をかいたので会社で洗濯しようと洗濯室に行くと洗濯機の中には洗い終えたTシャツが数枚入っていた。洗った本人は時間になったら干すつもりであったと思う。誰のかは分からないが洗濯機の中の洗い物をベランダで干した。そして自分の洗濯物を回した。1時間程度経って洗い終わると思い洗濯機に行くと次の洗濯物が回っていた。問題は私の洗濯物が洗濯機の蓋の上に無造作に置いてあった。ここで心遣いという気持ちがなぜないのか疑問に思った。僅か数メートル先のベランダにある物干しに何点かのシャツを吊るすだけの行為。なんて世知辛いと思う。先月、家庭の事情で退社した者がいた。理由はやむ負えないので引継ぎだけは責任をもってやるように伝えたが全く何もやっていない。心遣いの前の気遣いがなっていない。人生は長く広がりのあるもの、どこで再び繋がりがあるかもわからない。去る者は追わず、来るもの拒まずで人生を過ごしてきたが「立つ鳥跡を濁さず」と古来から言われている。今、濁ったまま無責任に去って、何も無かったようにしていても何も思わない者が増加している嫌な社会になってきた。小さい頃の教育に問題があると同時に誰も生き方などについての意見を言わない、また聞かなくても生活できるフリーター等の存在が根本にある。コロナ禍で働き方が大きく変化していく。これからは心を持った働き方をしている会社が存続する。

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個人とビジネス

会社員であるということは一定の時間を自ら会社に提供すること。これにより対価を貰う。会社はその時間を社会に有効に使えるように知恵を絞る。基本は定期採用を行っているが創業時はすべてが中途採用者であり、その頃は入社イコール就社という考え方に異論は無かった。数年前から地元の都立高校へ年に数回、就職についての講義を行っている。対象は年度により異なるが1年生、2年生が多い。ここで常に話すことは会社選びについてだ。先ず、職業については3つの職について自分が目指すものを選択する。ひとつは職人、これは一般的に想像する現場の大工さんや電工さんだけではなくお医者さん、弁護士など自分の技量で仕事をする人。二つ目は勤め人、サラリーマンだ。親が共通して勧める職であり大手の名の通った会社を目指す。最後は創業者への道。この3つの職業を決めたら次は業界だ。給料は業界により決まっていることが多い。業界の次に決めるのは会社だ。現在の就職選びはこの逆で高校生は親の意見に従い、先ず会社選びから始めて試験を受ける。高校生は進路指導の先生や親の意見に従い進路を決めている。入社後に世間を知り、こんな筈では無かったと退職する。毎年言っているが先ずは「職人」か「勤め人」「経営者」の選択をする順番を決めることが大事。今は就社という意識は必要ないが自分が居ないとこの会社の将来は無く発展しないぐらいの気構えや行動を取る存在になってほしい。

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テレワーク7割

最近、ニュースで政府がテレワーク7割の進めたいと云う。もちろん現場を対象にしているわけではないが笑い話となる。無理を承知で製造業、建設業などのものつくり企業に当てはめると現場に7割の作業員が居なくなるとどうなるか?例えば1年間の工期の建設があった場合、3割の出ずらで計算すると3年間に延びる。この間の施主や建設業の会社の資金繰り、7割の社員、職人の手当など考えると崩壊しかない。リモートで何が出来るか、現実的に検討すると会社に立ち寄らずに現場へ直行直帰、しかし、移動の交通手段が問題となる。作業車にはその日に必要な工具や材料がある。するとハブ的な資材置き場や駐車スペースの確保などコストアップ要因ばかりになる。問題はコロナの感染拡大の予防のために人との接触を減らすことが主であるのに全産業宛てに一律に発信することは意味が無い。社員に対しては時差出勤や現場から帰社したら規定の時間前であっても退社してもらっている。社内において三密防止は不可能に近い。やはりニュースになっている夜の街関連に近づかないこと、知らない者同士の飲食がリスクが高いようだ。一時も早くワクチンの開発が望まれるがインフルエンザでも経験しているがワクチン接種しても感染してしまうのが現実。経済を考えると自粛要請や自宅待機などの手段を見直す時期が来ているのではないか。

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